浄土教ゆかりの石仏・石塔

高さ30尺の十三重の塔は、阿弥陀如来の本願を説かれたお釈迦様(仏舎利)を象徴するものであります。平成23年3月11日東日本大震災により、一部損壊致しましたが、被災地並びに日本全体の早期復興を祈念して同年修復完了致しました。

十体の石仏は、浄土真宗の開祖親鸞聖人、中興の祖である蓮如上人、浄土教を今に伝える七高僧の龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信和尚・源空上人(法然上人)、仏教を日本に伝来させた聖徳太子となっております。

親鸞聖人・日本(1173年~1263年)

親鸞聖人・日本(1173年~1263年)

鎌倉時代初期の僧であり、浄土真宗の開祖である。

親鸞聖人は、京都に生まれ、9歳で出家、20年間比叡山で学び、二十九歳で法然上人を師と仰ぎ、門弟となり『他力本願』の信仰の世界を見出すも、念仏弾圧により越後へ流罪となる。

放免後、関東に移り茨城・栃木を中心として念仏の教えを多くの人々に広め導いた。晩年は京都にもどり、一生を終えることになる。

その波乱と苦難の生涯の中で見出されたのは、

  • 絶対他力…仏の慈悲を他力という
  • 自然法爾(じねんほうに)…自らのはからいを捨て法のままにある

親鸞聖人の教えは、主著『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』(略名 『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』)にまとめられてあり、その中の『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』は、親鸞聖人の信仰告白であり、浄土真宗の念仏の教えそのものである。

十三重の塔

十三重の塔

阿弥陀如来の本願を説かれたお釈迦様(仏舎利)を象徴するものである。

平成23年3月11日東日本大震災により、一部損壊するも、早期復興を祈念して同年修復完了したものである。



七高僧

七高僧とは、親鸞聖人が浄土真宗相承の祖師と定めた7人の高僧のことである。

それぞれの国、時代における苦悩の生を生きられ、人間はやはり念仏に依らねば救われない事をあきらかにされたのである。

龍樹菩薩・印度(西暦2〜3世紀)

龍樹菩薩・印度(西暦2〜3世紀)

南インドのバラモン出身の仏教者で、初期大乗仏教の代表的学僧である。

出家して、はじめ上座部仏教を学び、のちに大乗仏教を聞き、また、竜宮に入り大乗無上の経典・華厳経を持ち帰ったとも言われている。

中観学派の祖、八宗の祖師と仰がれている。


天親菩薩・印度(西暦4〜5世紀)

天親菩薩・印度(西暦4〜5世紀)

ガンダーラ国の首都プルシャプラに生まれ、上座部仏教を学び、『倶舎論(くしゃろん)』を作ったが、大乗仏教に転じ、数多くの著書を記した。

法然上人は、天親菩薩の『浄土論』を浄土三部経とともに、『三経一論』とし、浄土教の教義の根本となる書と定め、浄土真宗では、七祖聖教のひとつとしている。


曇鸞大師・中国(476〜542)

曇鸞大師・中国(476〜542)

北魏時代、中国山西省出身であり、15歳の時、五台山で出家。洛陽で菩提流支(ぼだいるし)に出会い、観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)を示され浄土教に帰依した。山西省の大厳寺に住し、のち石壁の玄中寺に移り、さらに遙山寺に移りここで歿した。

天親菩薩の『浄土論』の注釈である『浄土論注』を著し、礼拝・讃嘆・作願・観察・廻向の五念門を説き、浄土教の教学と実践を確立した。


道綽禅師・中国(562〜645)

道綽禅師・中国(562〜645)

中国隋唐時代の山西省の出身であり、14歳で出家し、涅槃経(ねはんぎょう)をきわめた。隋の大業5年(609年)石壁玄中寺で曇鸞大師の碑文を読み浄土教に帰依する。

以来、その実践的信仰と民衆教化によって多くの帰依者を得る。玄中寺の碑文には、その徳望が唐の太宗皇帝に聞こえ、特別な待遇をうけたとある。

著作には、曇鸞大師の教学を継承しつつ末法到来という時代認識のうえに展開された『安楽集(あんらくしゅう)』がある。


善導大師・中国(613〜681)

善導大師・中国(613〜681)

中国における浄土教の大成者である。

唐時代中国の山東省東溜の出身であり、浄土変相図(浄土のありさまを表した図)をみて浄土教に帰依、白蓮社(びゃくれんしゃ)という念仏結社をつくった慧遠(えおん)の香風を募って廬山に入る。

諸師の説を批判し、『観経四帖疏(かんぎょうしじょうしょ)』四巻を著し、曇鸞大師・道綽禅師の伝統と浄土教の本旨を明らかにした。


源信和尚・日本(942〜1017)

源信和尚・日本(942〜1017)

平安時代の浄土教の大成者である。恵心僧都(えしんそうず)とも呼ばれている。

大和(奈良県)葛城郡当麻に生まれ、幼少にして比叡山にのぼり良源(りょうげん)に師事、天台教学を極める。

著作はひじょうに多く、『往生要集(おうじょうようしゅう)』などがある。


源空上人(法然上人)・日本(1133〜1212)

源空上人(法然上人)・日本(1133〜1212)

浄土宗の開祖であり、親鸞聖人の師である。法然は房号で、名は源空という。

久安3年(1147年)15歳の時に比叡山にのぼり、43歳の時に専修念仏(せんじゅねんぶつ)を主張して比叡山をおり、洛東の吉水で念仏の教えを説いた。

親鸞聖人が比叡山を出て法然上人の門にはいったのは、法然上人69歳、親鸞聖人29歳の時であった。称名念仏のみによって誰でも等しく救われると説く浄土教団は、鎌倉仏教の幕開けを告げるものであり、大いに発展した。

法然上人の主著は、『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』などがある。


聖徳太子・日本(574〜622)

聖徳太子・日本(574〜622)

聖徳太子は、飛鳥時代の政治家で、推古天皇の摂政として活躍した。

・冠位十二階の制定
・憲法十七条の制定
・国史の編纂
・遣隋使の派遣
・三経義疏(さんぎょうぎしょ)を編纂
・法隆寺、四天王寺を建立

大陸文化の導入と仏教の興隆に尽くした。親鸞聖人は、聖徳太子を『和国の教主』と崇められ、聖徳太子を称える『和讃(わさん)』も著している。

親鸞聖人が、救世観音(くぜかんのん)を祀る六角堂(ろっかくどう)にこもり、そこで聖徳太子の夢告(むこく)をうけ、法然上人(ほうねんしょうにん)のもとを訪れる決意をされたのである。


蓮如上人・日本(1415〜1499)

蓮如上人・日本(1415〜1499)

蓮如上人とは、室町時代の浄土真宗の僧であり、本願寺第八世であります。七世存如(ぞんにょ)の長男として、本願寺に生まれた。

応仁の乱といった戦国乱世の時代を生き抜き、封建社会の中、民衆に浄土真宗の教えをわかりやすく説いた『御文章(ごぶんしょう)』といわれる数多くの手紙を記した。

又、親鸞聖人の著書『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』に収められている『正信偈(しょうしんげ)』を『和讃(わさん)』と合わせて開版し、朝夕のおつとめに用いるよう制定され、門徒の教化にあたった。

本願寺教団を今日の隆盛に導いた中興の祖と言われている。