日本のお墓、世界のお墓 その共通する問題点とは

海外でも高騰しつつある葬儀と埋葬の費用

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古今どのような国のどのような文明を見ても、発生してから、成長し停滞しそして衰退していきます。これには社会そのものの仕組みや、文明が生き物のように世代交代をしていくからです。その世代交代や社会の変化に応じて、習慣や風習、人々の生活なども変化していきます。では、現在のわたしたちの生活する社会である日本という国は、どのように変化してきて、どのように変化を始めているのでしょうか。

人は利便性の高い場所に集中していく

革命

ひとつの問題としては土地の問題があります。これは供養についての問題です。ほぼすべての文化において、人が亡くなったときには埋葬を行います。埋葬の形式は様々ですが、そのまま遺体を放置するという文化はほとんどないと言っても過言ではないでしょう。日本の場合では人が亡くなったときには、医師に死亡の診断をしてもらいます。そのうえで24時間以上経過したのちに火葬を行います。これは亡くなった人に蘇生の可能性があるため、まだ生きている人を埋葬してしまわないよう、そうした時間を設けるのです。一般的にはその後火葬を行い、その焼骨を骨壺に納めます。焼骨の入った骨壺は墓地や霊園、納骨堂に埋葬するのがほとんどですが、場合によっては手元供養や散骨を行うこともあるでしょう。

日本ではあまり一般的ではないですが、海外では土葬を行っている地域も多くあります。そうした地域では葬儀を行ってからその遺体を墓地や霊園に埋葬します。

当然のことながら、土葬を行う際は遺体を横たえて埋葬します。そのため人一人を埋葬するためには人間一人分のスペースが必要になってきます。また通常埋葬を上下に重ねて行うことはありません。そのため亡くなった人が増えればそれだけ多くの埋葬のスペースを必要とするのです。世界的な大都市では、どの都市でも高層ビルが立ち並んでいます。これはどの都市も平面的な利便性を高めるためです。都市というのは人の集まる場所に発生します。そこには人間が集まる必要のある施設があるからです。人が集まっていけばそれだけ多くの産業が発生します。その産業で勤務する人たちがその周辺にまた住居を設けます。つまり、人間が多く集まるところには利便性を求めてどんどんと人が集まっていくのです。平面的に切り詰められていった空間の問題は限界を迎えると上下に伸びていきます。人口密度が増加していくと、建築物はその階層を増やしていくのです。

しかし、土葬を行ううえでそうした階層化はできません。なぜなら土葬を行うには当然のことながら土が必要になってくるからです。人間の遺体を自然に還すためには、必ず自然の力が必要になってきます。そのため、人工的な高層建築物というのはそうした土葬というものからは非常に縁遠いものなのです。人口的な高層建築物の中に土を運び土葬を行うスペースを作ればよいという考えもあるかもしれません。しかし、墓地が何十年何百年とその使用用途を変えることができない場所であることやコストなどを考えると、そうしたものを実現するのは難しいでしょう。

高層建築物が作られるような都市部では地価が非常に上昇していることが想定されます。そうした場所で作られた墓地や霊園は当然費用が高くなります。例えば都内有数の立地にある青山霊園は一番小さい区画でも400万円以上の永代使用権の購入費用が掛かります。一番大きい区画になると1000万円近くの費用が掛かるのです。こうした金額は人間がひとり亡くなるたびに払う金額としては多いでしょう。こうした墓地や霊園の土地に掛かる費用は日本だけの問題ではありません。日本に比べて比較的地価が安いと言われる海外でも同じような問題が多々発生しているのです。例えばフランスの首都パリで土葬をすることを考えると、その用地の確保には日本円にして200万円ほどの費用がかかることになります。先進国ではこのように都市部での土地の不足が、霊園の不足という形でも発生をしており、それによって誰かが亡くなったときに掛かる費用が高騰しているという事実があるのです。

土地の問題が土葬を火葬に変えていく

善源治

実は日本で火葬が早くから広がっていた原因としてこうした都市の土地問題があります。外国人から見ると「ウサギ小屋」とも揶揄された日本の住宅。その根本的な原因はその利用可能な土地が国土に対して少ないことがあります。日本の大きな平野は関東と関西に集中しています。そのため江戸時代の段階ですでにその地域に非常に多くの人口が集中していました。その人口の実数に関してはさまざまな推測があるため、その時期の人口密度に関しての数値に言及することはできません。しかし、現存する資料などから推測するに、その時代の段階で非常に高い人口密度を示していたのは確かでしょう。特に早くから都が多く置かれ、人口の集中していた関西地域では比較的早い段階から火葬が行われていました。文化的な面から火葬が早くから行われたということもあります。関西地域は早くから都として栄えた地域であるため、多くの貴族が生活した土地でもありました。そのため神道にゆかりが深い文化圏にあったのです。そのため「穢れ」に対する思想があり、それによって火葬が促進されたという背景もあったでしょう。しかし、古くから人口が集まっていた地域であったため、多くの埋葬地がすでに存在していたことや、人口の密集により土葬や風葬が間に合わなくなり、その解決の方法として火葬が行われたということもあるでしょう。

関東と関西の遺骨に対する扱いを見てみると、関西の方が先進的な方法で遺骨を処分しています。関東もしくはその以北ではほぼすべての焼骨を遺骨に納めますが、関西では関東に比べて骨壺が小さく、すべての焼骨が骨壺に納められるわけではありません。骨壺に納めなかった遺骨に関してはきちんとした形で行政が処分をしています。これはおそらく遺骨の処分というものに関しての考えが、関西の方が人口の集中が早くから起こり、その結果として長年遺体の処理に悩まされた歴史があるからでしょう。

土葬による問題点とは 火葬に変わりゆく世界の流れ

また、遺体が分解や処理されるまでには長い時間が必要です。その遺体が処分されるまで、周辺には悪影響を及ぼします。土壌の汚染や疾病の発生、悪臭問題など遺体を埋葬するうえで周辺に及ぼす影響は非常に大きいのです。当然、人里離れた場所に墓地を設けた場合などはそのような影響はあまり起こりません。しかし、墓地までの利便性というものを考えると、そこまで遠い場所に墓地を設けることが少なくなってきました。そのため土壌汚染などの問題が浮き彫りになってきたのです。

海外でも近年急速に火葬の割合が増加しつつあります。もちろん地域差はあります。しかし、信仰や文化的な理由で特に土葬を好んでいる地域以外では、火葬の割合が少しずつ増加しているのです。例えば、ある調べにおける数字では、お隣の韓国では1970年代には火葬の割合は10パーセントに満たない割合でした。しかし政府の火葬推進などもあり、1994年で20パーセントほどであった火葬の割合は現在では80パーセントを超えたという調査もあります。

またイギリスでは1930年代から火葬の割合が少しずつ増えていき、2010年の段階で70パーセントを超えています。カナダでは土葬の方が、割合が高かったのですが、近年その割合は逆転し65パーセントです。

世界的な流れとして先進国は次々と火葬に進んでいるのです。人口密度による土地の価格の上昇により、遺体を埋葬する面積を狭める方法として、またいち早く公衆衛生を守る方法として火葬が選択されているのです。

また、火葬が増えている背景としては火葬場の設置が進んだこともあります。国として火葬を行っていく方針であった場合、公営の火葬場が設置されていきます。こうした設備の設置が進んでいけばそれだけ火葬の割合が高まることにもなるのです。

先進国に見る費用の変化

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また費用の面での利点などもあります。カナダでの平均的な葬儀の費用を考えてみましょう。カナダで伝統的な土葬の方法で葬儀と埋葬というものを行った場合、最低でも日本円で40万円ほどかかることになります。しかし、この方法に様々な諸費用を加えたり、オプションを含めて支払いを考えた場合、その金額は120万円を簡単に超えてしまうことになります。

これに対して火葬の費用はこうした伝統的な土葬の方法と比較するとおおよそ4分の1くらいの費用で済むのです。火葬のみを行い、葬儀を行わず、お別れ会などをすべて省略した火葬、日本で言う直葬を行った場合の費用は、五万円前後しかかかりません。日本で一般的に考えられている葬儀の方法をカナダで行った場合35万円ほどになります。

カナダの葬儀の形は従来土葬でした。もともとカトリックのプロテスタントが主流であるこの国では復活信仰があるため、遺体はできるだけ亡くなったときの状況のまま保持することが好まれたのです。最低でも40万円かかり多ければ120万円ほどかかる土葬、かかっても35万円ほどしかかからない火葬。

宗教的なものに対する変化などもあり、また新しい世代が埋葬に対する考えが柔軟になってきたこともあるため、カナダでは火葬が人気のある選択肢になったのです。

カナダの例は、他の国でも同様のことが言えます。先に挙げたイギリスでも火葬の方が、はるかに費用が少ない選択肢になっています。しかし葬儀全体に掛かる費用については状況が大きく変化しています。かつてイギリスは非常に葬儀に対して掛ける金額が少ない国として認識されていました。しかし、死亡者数の増加によって価格が少しずつ上昇していきました。またイギリスでは一般的に死亡したときに様々な引継ぎなどで弁護士費用が掛かります。そうした弁護士費用に関してもどんどんと価格が高騰しているのです。現在では、イギリスでも一人の人間が亡くなったときに掛かる費用はどんどんと膨らんでいき2018年の段階で約9200ユーロ、日本円で100万円を超える費用が掛かるようになってしまったのです。

そうした費用というのは当然誰にでも払えるものではありません。イギリスのある葬儀関連業者によれば、5人に一人ほどがこうした費用を支払うことができず、なんらかのトラブルが発生しているという調査もあります。

費用的な問題から放置される遺骨

こうした葬儀費用の増加というのは、世界的に見て起こりうる流れのひとつなのでしょう。日本でも年間50を超える遺骨が遺失物として警察に届けられています。そのうち持ち主が見つかるものは2割程度のこりの80パーセントほどの遺骨はそのまま持ち主が見つからないままなのです。実際こうしたトラブルの背景には、経済的な問題があります。そうした遺骨をどうにもできず、駅のコインロッカーに放置したり、寺院の境内に多少の金銭と共に放置したなどの事例があるのです。また届けられた骨壺に預金通帳が一緒に入っていることもあります。これは故人が葬儀費用として貯めていたものなのかもしれません。しかし、遺骨がこのように放置される状況下では、そうした預金を使って遺骨を供養することは手続き的にも非常に難しいことであるため、本人の希望通りその預金を使って本人の希望したような葬儀、供養を行うことは難しいのです。

こうした事件というのは日本だけで起こっていることではありません。フランスでも同様のニュースが報道されました。それはパリの地下鉄に遺骨が骨壺に入ったまま放置されたというものでした。先にも挙げたようにパリで土葬を行おうとした場合、その墓地の使用権を購入するのに200万程度の費用が掛かるのです。また火葬を行った場合には36万円ほどの費用が掛かります。これ以外に葬儀そのものの費用を支払った場合、遺骨を供養する費用を捻出する方法が見つからず、苦心の末、そうした遺骨の放置という選択肢を選んだのではないでしょうか。フランス全体では25パーセントほどの割合ですが、パリでは30パーセントを超える割合で火葬が行われています。先に挙げたような遺骨の放置が行われないよう、フランスでは骨壺に関する法令が作られようとしています。自宅で骨壺を管理する場合は暖炉の上に置くことが義務付けられているようです。

遺骨を受け取らないという選択

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最近耳にするようになってきた埋葬の方法としてゼロ葬というものがあります。これは2016年に宗教学者の島田正巳さんが提唱してきた方法です。ゼロ葬は火葬場で焼いた遺骨を家族が受け取らないという方法です。この方法に関して、まず法的にどうなのかということを考えてみましょう。遺体の処分に関する法律については「墓地、埋葬等に関する法律」という法律の中でその扱いが規定されています。

遺体の処分である、火葬や土葬を行う場合には、死亡認定されてから24時間以上が経過していること。土葬で地中に遺体を葬る場合、もしくは焼骨を地中や墓地、納骨堂に納める場合にはその土地は都道府県知事から認定された墓地霊園としての認定を受けている土地であること。火葬場の経営を行う場合は都道府県知事から強化を受けなければならないこと。

このように遺体や遺骨を扱う規定はあります。しかし、火葬した遺骨をどうするのかということについては特に規定はありません。そのため、火葬場で遺体を火葬したのち、その遺骨を受け取らなければならないということは法律では規定されていないのです。

しかし、これはあくまで先の法律に明文化されているかどうかという話であり、その下にある条例やそれぞれの火葬場の使用規則などのルールもあります。そのため、地域や火葬場によってその詳細ルールは異なり遺骨を持ち帰らないことを禁止している場合もあります。しかし、費用の面その他の面なども含めて考えるのであれば、そうした選択肢も方法だと言えます。地下鉄やコインロッカー、寺院の境内に遺骨を放置していくことと比較すると、火葬場で遺骨を処分するという方法はよりよい方法だと言えるのではないでしょうか。

実際イギリスでは、こうしたゼロ葬の方法を取られることがあります。火葬場で火葬を行った場合、そのまま一旦遺骨が火葬場で保存されます。その遺骨の引き取りに行くか否かはそれぞれの遺族の判断に任されます。引き取りに来た場合は遺骨をお墓に納骨したり、散骨したりなど様々方法で供養を行います。逆に遺骨を引き取らなかった場合は、そのまま火葬場が処分を行うことになります。そうした遺骨は特定の処分場所に埋め立てられたり、スキャッタリンググラウンドと呼ばれる散骨用の土地に散布されるようになっています。このように海外でもゼロ葬に近い形の遺骨の供養を行っている国があります。また、このスキャッタリンググラウンドという考え方は遺骨の処分に困る多くの国で新しい方法として受け入れられつつあります。

日本での散骨のルールは

ゼロ葬に関しては地域や火葬場によって可能かどうか分かれます。では先のスキャッタリンググラウンドのように散骨を行うということに関してはどうなのでしょうか。

散骨そのものに関するルールについて「墓地、埋葬等に関する法律」の中には明記されていません。遺骨を地中に埋葬することや焼骨を収蔵することに関しては明確なルールはあります。また遺体を通俗上の埋葬と考えられる方法以外で遺体を動かし放置した場合は「刑法」における死体遺棄罪に問われることがあります。焼骨に関してもこれは同様のことが言えます。死体、遺骨、遺髪などを埋葬の目的ではなく許可なく移動させた場合は死体遺棄の罪に問われるのです。また死体や遺骨、遺髪を埋葬義務のある人間が放置をする場合にもこの罪は問われます。

では散骨はどのように捉えられるのでしょうか。文字通りに考えるのであれば、遺骨を散布する散骨というものは死体遺棄罪に問われることになります。しかし通俗上の埋葬と考えるのか否か、という部分が問題になってきます。例えば河川に遺体を流すことは死体遺棄の罪に問われることになります。特殊な状況を除いて、海洋でこうした行動をとることも同様に罪に問われることになります。日本ではこうした水葬という埋葬法が一般的な埋葬の方法として認めれれていないからです。これは遺骨の場合でも同様のことが言えます。しかし遺骨をきちんと粉末状にして海洋や山林などに散布することは法律上のグレーゾーンになっています。公式のではありませんが、「葬送のための祭祀で節度を持って行う分には問題にならない」という見解を今から30年近くまえの法務省が出しています。つまりは遺体をぞんざいに扱う行為ではなく、他人の宗教的感情などを乱すような形でなければ黙認されるというのが、現在の状況なのです。

もちろん、他人の宗教的感情というものに関しては様々な意見がそこにあるでしょう。そうした声に対応をするために、現在では散骨に関する法的なルールについて、各自治体の条例制定に任せている部分が多いのです。例えばそうした散骨を行われることによって、その都市のイメージダウンにつながると考える場合や住民から山林での遺骨を反対する運動があった場合に対応するためです。

このように遺骨の処分ということを考えた場合に、一概にこうすれば解決するという方法はありません。そこには法律や条例、そして風習などのさまざまな要因があるからです。

墓を買うということ

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では、従来の埋葬方法についてはどうなのでしょうか。ここでいう埋葬方法というのは、どのように遺体を処理するのかということです。日本では戦後、火葬化が進んでいきました。遺体を火葬し、その遺骨をお墓で管理することが一般的な埋葬方法とされてきたのです。そのためその規制として「墓地、埋葬等に関する法律」によってお墓を設置できる場所の規定がされています。そのため都道府県知事に許可された場所でしか埋葬を行うことができません。

ここで問題になってくるのは、そうしたお墓に遺骨を収蔵する際に、永代使用権を購入する必要があるということです。先に挙げたように都市部になればなるほど土地の価格が高騰するため、その永代使用権の購入代金も高くなっていきます。ひとつの問題としては利便性の高い場所にお墓を購入することを考えると費用面の負担が非常に高くなってしまうことがあります。また、反対に都市部から離れた場所にお墓を設けた場合、その管理に移動などの負担がかかってしまうことになります。また、そもそもこうした管理を行う人がいないということもあるでしょう。後継者が近くにいない、子どもがいないため自身のお墓を引き継いでくれる人がいない、という状況もあり得ます。そうした状況下ではお墓を購入して遺骨を収蔵するという方法をとることは困難になってきます。

お墓を委託するという永代供養

お墓は購入するけれど、管理は委託するという方法もあります。お墓を購入するということはその墓地や霊園が存在し、その管理者がいることになります。自身でお墓を引き継ぎ後継者に托していくのではなく、そのお墓の期限を決めてその期間までお墓を存続し、その後の遺骨とお墓の管理は管理者に任せるのです。このような方法のことを永代供養と言います。永代供養はさまざまな形があります。しかし、どのような形をとるにしても、最終的な遺骨とお墓の処分を確実にしてもらえるということは消費者にとって安心できることではないでしょうか。

現在の供養が社会問題になっているのは、遺骨の行き先がないということと経済的な負担が大きいということがあります。また後継者がいない世帯などが増加しているため、そうした世帯がお墓を作れないというものです。しかしお墓と遺骨を委託することによって、後継者の問題を解決することができるのです。また永代供養はお墓の維持期間が決まっているため永代使用権を購入した場合と比較すると価格が低く抑えられることもあります。お墓の形式を通常の個人墓や家族墓にせず、納骨堂に納める形式や合同墓などにした場合さらにその価格を抑えることができます。通常の供養の方法をとるのは困難だけれど、ゼロ葬の形などをとるのは故人に対して偲びないなどの場合はこうした方法をとるのが良いでしょう。

遺骨を運ぶことが難しい人へのサービスも

またこうした永代供養を利用した方法のひとつに送骨や迎骨などがあります。送骨というのはその名の通り遺骨を送ることです。迎骨というのは遺骨を迎えに来てもらう方法です。送骨の場合は受け入れてもらえる寺院などに遺骨を郵送します。郵送された遺骨はその寺院で永代供養を行います。迎骨の場合は迎骨サービスのスタッフが遺骨を預かり、寺院などに届けて永代供養してもらうサービスです。どちらも先に挙げた永代供養の形であり、そこで合同墓などで供養されることになります。

どうしてこのようなサービスが利用されるのでしょうか。それは、供養する側が高齢になりつつあるという問題もあります。現在の日本では人生100年という風に言われつつあります。仮に90歳まで生きた人がいる場合、その供養を行う人は一世代下となり60歳を過ぎていることでしょう。そうした中にはすでに自身の体が不自由になっているという方もいらっしゃるでしょう。そうした方には、自身で永代供養をしてくれる寺院や霊園を探し、そこに行って遺骨を納めるというのが困難な場合もあるでしょう。これは永代供養だけに言える問題ではありません。高齢化はどんどん進んでいます。供養する側の体が不自由であるため、思ったような供養ができず、そのまま遺骨が自宅供養されているというケースもこれから増えてしまうのではないでしょうか。

遺体の処理は必ず行わなければならないことです。特に先進国では都市化が進んでいるため、自然の力を借りることが非常に難しくなっているのです。また社会構造から都市部の人口の集中や地価の高騰という問題はどの社会でも避けられない問題となっているのが事実です。そのため、よりスペースを使わず、より費用の掛からない形での埋葬方法が求められていくのではないでしょうか。

葬儀や埋葬は死者を悼む行為であり、紀元前から人類の間で続けられてきた儀式です。しかし、そうした葬儀が本来の意味から離れ、形式化しているだけになっているものも多いのではないでしょうか。古今東西、死者を悼む気持ちに変化はないでしょう。しかしその形式というものが今を生きている人の生活を阻害するような状態になるというのであれば、弔われた故人の側からしても不本意なものになってしまっているのではないでしょうか。

 

埋葬の形には多くの形があります。必ずしも正しい供養の形があるわけではなく、遺族がそして弔われる本人が望む供養の形が正しい供養の形なのではないでしょうか。おそらく先の事件で放置された遺骨の本人も、自身の遺骨が遺族を困らせることは望んではいないでしょう。負担をかけるのであればゼロ葬の形でも良いと言ってくれるのではないでしょうか。

またお墓に関しても同じことが言えるでしょう。以前から続く伝統的な供養の形。こうした方法で子孫が自分を弔ってくれるのはうれしいことではあります。それは自分がこの世の中に残したひとつの証であり、引き継がれていくものがあるというのは生き物としてうれしいことでもあるでしょう。しかし、自分を弔うことが負担になることを望む先祖がいるでしょうか。また代々のお墓が荒廃してしまうことを望んでいる人がいるでしょうか。

お墓をどのように扱い、どのように最終的な処分をしていくのか、というのは現代に生きるわたしたちに課せられたひとつの命題です。画一した埋葬の方法だけが許された方法ではありません。それぞれの家や個人が望む供養の形がそこにはあり、そうしたそれぞれのイメージするものをきちんと家族や親戚と共有して行っていくのが正しい供養の形ではないでしょうか。

埼玉県でのお墓探し

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光輪霊園は埼玉県東部地域にあります松伏町にある霊園です。宗教法人善源寺の光輪事業部が直営する霊園です。寺院にある霊園ではございますが、霊園という名称からもわかりますように宗旨宗派を問わずどなたにでも利用していただけます。伝統的なお墓を使った供養である、霊園の永代使用権の販売も行っています。時代のニーズにお応えすべく納骨堂や合同墓を利用しての永代供養や樹木葬形式の永代供養も行っています。また永代供養付きのお墓「絆」という選択肢もございます。それぞれの家族が求める形を実現するためわたしたちは尽力しております。

埼玉県東部地域、越谷、春日部、吉川、松伏などで供養をお考えの際は光輪霊園にご相談ください。