お墓の考え方 日本における「正しい」埋葬方法とは


目次

1.近年問題になりつつある墓地問題

最近、葬儀についての新しい言葉が多く聞かれるようになりました。「終活」「供養難民」「墓じまい」など、新しく作られた言葉はその世相を反映しています。その背景には時代の抱える問題点や前時代との変化があります。それらの言葉の意味を考えながらどのような背景があるのか説明していきます。

終活

人生の終わりに向けた活動で、これを略して「終活」といいます。 就活というのは自分が亡くなったあとのことについて生前に決めておくことをさします。 音(おん)が就職活動の省略語である「就活」と一緒であるため会話内で現れたときには文脈から判断するしかありません。

就活で決めなくてはならないことは大きく分けて四点ほどあります。 一点目はどのように葬儀を行うか。葬儀を行う方法、規模、参列者をだれにするかなどの設定をすること。 二点目はお墓をどういったものにするか。お墓の場所やどのお墓に入るか、またすでにお墓がない場合は、そもそもお墓を購入するのか、自分の遺骨をどのように扱ってもらうのかということ。 三点目は財産や相続。つれあいや子どもたちに何をどのように相続するのかということを決めておくこと。 そして四点目は自分の身の回りのものなど、相続するほどのものではないが、自分が遺していくことになるものをどのように処分していくのかということについてです。

これらの活動はどれも自分の死後に起こり得るトラブルを避けるために行われています。 例えば、一点目の葬儀方法を決めておかなければ、一般葬で葬儀を行うのか家族葬で葬儀を行うのか親戚間でトラブルになることもあります。 遺族はその労力や経済的な点から家族葬を行ったけれども故人の親族はみな一般葬を行いたかったケースです。 また、亡くなった方の実家では代々ある方法の葬儀でないといけない、などのしきたりがある場合も問題となるでしょう。 そのため家族葬を行うときは本人の遺志であるということをはっきりさせるか親戚にきちんと確認することが大切です。

遺骨の扱いについても同様の問題が発生します。 あらかじめどのように遺骨を扱うのか聞いていないというケースのときトラブルが発生することがあります。 故人の遺族が永代供養などで散骨してしまった場合、亡くなった方のご実家がその代々のお墓に埋葬するつもりだったのにそれができなくなってしまったというケースも想定できます。

財産や個人が収集していたものの処分などという話になると起こり得るトラブルは簡単に想定できます。 お金になるもの、価値のあるものを相続すべく遺族や親戚が揉めごとを起こすという話は歴史上でもいくらでも例をみることができます。 自分の死が揉めごとのタネにならないよう、きちんとそれらのことを決めておくのは大切なことです。

旧来、日本ではその人が亡くなったあとのことを話すのは縁起が悪いと言われてきました。 しかしそういった迷信を信じなくなってきた現代、トラブルを避けるために終活が行われるようになりました。

供養難民

都心部における土地の不足は深刻化しています。 現在都心部における公共墓地を申し込んだとしても、その倍率は10倍以上、永代使用権の金額は700万以上です。 そのため亡くなったあとに埋葬しようと思ってもその埋葬すべき墓がないというのが供養難民です。 葬儀、火葬を行ったあとにどうするのか、それを生前からきちんと考えていかないと行けません。 檀家システムは崩壊し、死語の法要や供養をどのように行うのかといのは大きな問題なのです。 住空間なども大きく変化してきた現代、住居や事務所など多くの建物が高層建築の中に集合されています。 墓地もそれに応じて集合住宅化されてきました。例えば、交通の便のよい主要駅の近くに納骨堂を作りそこに納骨するという形式です。 納骨堂では立体の駐車場のように番号を入力すると遺骨が出てくるのです。それに参拝するという形式です。 この方法はかつての埋葬方法から考えるとかなり奇妙なものかもしれませんしかし、現代の埋葬する土地が足りないという問題を解決するひとつの方法ではないでしょうか。

別の方法として見直されているのは散骨と永代供養です。散骨はその文字の通り、遺骨を埋葬せずに撒くという方法です。本人に縁のある海洋に撒く海洋葬と、樹木の元に埋める樹木葬が一般的です。永代供養というのも最終的にお墓に納骨しないという意味では同じような方法と言えるでしょう。永代供養は遺族に依頼された管理者がその遺骨を納骨堂などで管理します。そして一定期間、一般的には三十三回忌まで供養します。その後樹木葬などの形で散骨して合同供養します。共通点としては散骨も永代供養も最終的に管理者の管理のもとに遺骨が回収できないように供養されるという点です。

墓じまい

この言葉は近年聞かれるようになった言葉で、今まであったお墓を処分しその永代使用権を返却して更地に戻すということです。 近年のライフスタイルの変化により、今までのように故郷にあるお墓に一家全員の遺骨を埋葬していくというのは難しくなってきました。 そのため、都心部にすむ世帯は交通の便のよいところに独自にお墓を買い、故郷にあるお墓は利用しないといことが多くなったのです。 そのため故郷の墓地を継承するものがいなくなってしまいました。 そういったお墓が荒れ果てていくことを防ぐため、墓じまいが行われるようになったのです。

次に墓じまいをする方法を説明します。 まずは改葬許可を得なければなりません。 例え親族のものであっても市町村に許可を得ずにお墓の中にあるものを動かすことは犯罪になります。改葬許可申請証は市町村のホームページか役所に行けばもらえます。 次に霊園管理者に改葬の旨を伝えます。 改葬許可証を申請するためには霊園管理者の許可が必要です。 お墓の中にある遺骨を取り出したら、その遺骨を次の埋葬場所に移動させます。 もちろんこのときに永代供養してしまうこともできます。 そうして中に何も埋葬されていない状態にできたら墓石を処分する前に僧侶を呼んで「閉眼供養」の儀式をしてもらいます。 この儀式は必要がなくなった墓石を、墓石から普通の石に戻す儀式です。 なお、その墓石を他の墓地などでもう一度を使用する場合は、反対に「開眼供養」の儀式を行ってから使用します。 「閉眼供養」をしたあとの墓石は業者に連絡して処分します。そしてお墓のあったところを更地にします。 ここまで済ませれば墓じまいは終了です。 墓石やお墓の敷地についての処分が終了したら、残るはお墓から取り出した遺骨の問題です。 しかし人間に寿命がある以上、その遺骨を永久に取っておくことはできません。 土地は有限で亡くなる人はこれからもどんどん増えていくからです。 その解決方法として永代供養や散骨を選ぶ人が増えてきました。

2.歴史に見る墓石

現代起こりつつあるお墓の問題の解決法として永代供養や散骨などの形式が一般的になりつつあることはこれまで説明してきました。 おそらく中にはこういった新しい埋葬の方法に対して抵抗がある人もいらっしゃるとおもいます。 では、その新しい埋葬の方法というのは間違っているのでしょうか、そもそも正しい埋葬の形とはなんでしょうか。 それを議論するにはそもそも日本のお墓の歴史について話をしなければなりません。

縄文時代の葬儀の方法

日本の埋葬の起源は縄文時代に遡ります。縄文時代は、教科書にあるように屈葬を行っていました。 屈葬というのは死者の遺体の手足を折り曲げた状態で埋葬することです。 その際に、遺体に岩石を抱かせることもあったそうです。 これは世界的に見て珍しい埋葬法です。 その他の葬儀の方法としては、世界中の例と同じように洞窟の中に放置して埋葬するなどの方法で埋葬することが一般的でした。 屈葬のときに遺体に抱かせた石が、日本の墓石の起源と言えばそうなのかもしれません。 しかし最近の研究では、それは死者を悼んでといよりも死者が蘇ってこないためという説が有力です。

神として崇める対象は 「上(かみ)」に対する信仰とは

もう少し時代を進めて、古代における墓標を見てみましょう。 日本には神として様々なものを祀(まつ)るというアニミズムの信仰がありました。 アニミズムと言うのは全てのものに霊魂や精霊が宿っていると考え、自然物を信仰する宗教です。 現代にも残る有名なものとしてはネイティブアメリカンの祖霊信仰などがあります。 実は日本の宗教にもそういったアニミズムの信仰が残っています。それは神道の考え方です。 神道は色々なものをご神体として祭っています。例えば有名な神社のご神体としては、伊勢神宮では鏡を祀っています。 また愛知県にある熱田神宮は三種の神器である草薙の剣を祀るために作られました。 他にもご神体が大きな石である神社、大きな木をご神木として祀っている神社、中には島そのものが信仰の対象になっていたりするケースもあります。 このように日本人は人知を超えた自然物を神として信仰の対象としていました。 そして世界中の多くの宗教のように空の上には天国があると考え、それに対する信仰として柱を立てるという祭りが日本中に残されています。 そういった祭りとして有名なのは長野県諏訪神社の祭りです。 この祭りでは大木を切り倒し地面に叩きつけ、それを運んで柱を立てそれを参拝するという祭りです。 相撲の四股(しこ)がそうであるように地面を叩くということは悪霊を地面に封じ込めるという意味合いがあります。 そして空に向けて立てるという行為は、天国に向けての信仰を。上に向けて何かを作るという行為は「神(かみ)」に向けての信仰を示しているのではないでしょうか。 このように「上(かみ)」という方向に対する憧れや死者の魂の昇る方向としての天に対する信仰がありました。

石に対する信仰 死しても変わらない存在を

では、墓標などの石に対する人類の信仰とはどこから来ているのでしょう。 それは恐らく、変わらないということに対する信仰です。 石による信仰は世界各地に見られます。 4000年以上前の文化として有名なエジプト文明が作り上げたピラミッドは長く維持されその形を残してきました。 ご存知のようにピラミッドは石を利用して作られてきました。南米インカ文明においても。 古代より権力者の威光を長く示すものとして、石を使った造形物が多くみられます。 現代でも、その威光を残す多くの遺跡は、古代の人々が考えたように今でも変わらず存在しています。 その不死という人類の望みを人の体に代わって墓標が示し続けているのです。

バナナ型神話に見る 人類の寿命に対する考え

また、古来より人類が石を不変のものの象徴であると考えてきた証拠としてバナナ型神話というものがあります。 バナナ型神話というものは聞きなれない言葉かもしれません。これはひとつの神話の類型で、東南アジアやニューギニアを中心に各地に見られる人類の死についての説明です。 多くの話の大筋はこのようなものです。神が人間に対して、石とバナナを与えました。そして神は人間にこのふたつのうちのひとつを選ぶように言います。 人間は考えます、自分にとって得なものはどちらなのかと。そして人間は食べられるバナナを選びます。 ここで神に与えられた「石」は硬いもの、そして変わらないものの象徴でした。言うなれば、不老不死の象徴でもあったのです。 人間が選んだ「バナナ」は柔らかいもの、そして子どもを作り死んでいくものの象徴でした。 ここで人間はバナナを選んでしまったため変化していき、子をなし、そしていつか死んでいくものと定められたという神話です。 実は日本の神話にもこれに非常に似た話があります。人間の先祖であるニニギが人間界に降りてきたときのことです。 その人間界を治める神がニニギに二人の姉妹の神を嫁がせます。その姉妹の姉はイワナガヒメといい醜い姿をした岩の神でした。 妹はコノハナサクヤビメといい美しい花の神でした。ここでニニギは妹のコノハナサクヤビメとだけ結婚をして、姉のイワナガヒメを帰してしまいました。 人間界を治める神はニニギに長寿と繁栄を送ったのですが、ニニギが長寿の象徴であるイワナガヒメを帰してしまったため、短命になってしまったという神話です。 この神話は先に挙げたバナナ型神話に非常によく似ています。他にも旧約聖書やギリシャ神話など多くの神話で人類の寿命ができた理由は語られています。 人類の寿命に対して、永遠の象徴として見られる岩石。人類はその変わらぬ姿を見て、対照的な自身の短い生涯を儚んだのかもしれません。

中世までの日本における石をつかった墓標の歴史

世界の多くの権力者がそうしたように、古墳時代になって日本でも石や土をつかった大規模な墓が作られるようになりました。 ピラミッド、タージマハール、兵馬俑など国や時代を問わず権力者がそうするように、石による永遠を信じ、そしてその権力を死後も示せるようにそれらの墓は作られています。 多くの副葬品や玄室の作りなどが、それが明らかに墳墓であることを示しています。そして現代の人間と変わらぬ永遠への思慕や死後の世界への重いがそこには見られます。 もちろんこれらの石を使った墓標は多く権力者にしか使われませんでした。日本では一部の有力豪族のみがその墓を作ることができたのです。 大衆の亡骸は多くの場合うちすてられました。また大規模に掘られた穴に一斉に埋葬されました。鎌倉仏教によって火葬が大衆に伝わったあともそれは変わりませんでした。 葬儀の方法として火葬がとられても土葬がとられても結局掘った穴に埋葬するという埋葬方法に長い間変化はなかったのです。 また今では信じられないことかもしれませんが、埋葬として水葬が行われていました。この方法は、遺体を川や海に流すという方法です。 古い記録に残っているものとしては、京都の鴨川のものです。今から1200年ほど前の京都では、死んでしまった人を鴨川に投げ込んで埋葬するというのは普通に行われた埋葬方法でした。 この埋葬方法の歴史は古く、古事記にイザナギとイザナミが産んだ子どもを舟に乗せて埋葬したという記述があることから、河川の多い日本ではかなり古い時代から普通のことだったのかもしれません。 また、故人の遺体を岩山にある縦穴の洞窟に投げ込むという埋葬法をとっていたという記録も残っています。 現代からすると少し信じられないかもしれませんが、そのような埋葬法を行なっていた時代や地域がかつての日本にはあったのです。

死者が眠る場の証としての墓標

庶民が埋葬した場所に木片や石などを置いて墓標とした、というはっきりとした記述が見られるのは室町時代以降です。 江戸時代には多くの埋葬は土葬で行われ遺体は掘った穴に埋められました。その墓標として木片が使われたり、石などを置いてその死者の眠る場所を示したりしたのです。 大衆文化としてはっきり残っている墓標としてはこれが最古のものになります。そのため、それ以前に作られた墓地を私たちは現在ほとんど見ることができません。 歴史上の人物などの墓が寺院の一部に遺されていることはあっても、江戸以前の大衆の墓が墓石として残っていることはほとんどないのです。 現在のような形式の墓石が多く大衆に見られるようになってきたのは実は江戸時代後期からでした。そのため、日本中を見渡しても江戸以前の一家の墓を見ることはほとんどありません。 墓というのは故人のみのものだったのが、夫婦用の墓、家族用の墓と広がっていき、現在の一家の墓いう形式になりました。 現在のような墓石の文化は日本の歴史上で見れば非常に短く、そのため墓じまいなどという行動は歴史上あまり残っていないのです。 また現在のような形をした墓石が使われるようになったのもこの時期でした。江戸後期から現在のような墓石が使われ始め、それまで墓標として使っていた木片は卒塔婆という形に姿を変えました。 我々が墓場というものに持っているイメージはこの頃から始まったものであり、仏教や神道の歴史に比べると短いと言えるでしょう。 それまで、私たちの祖先は火葬以外に、土葬、水葬、風葬などの方法で死者を葬ってきました。そのため現代伝統的だと考えている埋葬方法はその時代のムーブメントに合わせえたものなのです。

3.現代の埋葬方法の成り立ち
その流行の起こりそして現代へ

江戸から明治にかけての庶民の埋葬

現代の埋葬方法は、その起源を江戸時代後期に持っているということは前述の通りです。 では、現在のように墓地が大量に必要になりそれが社会問題として発展するまでに何があったのでしょうか。 明治時代に入り、一度廃仏毀釈などによって大きく葬儀の方法は変えられました。 しかし、それまでの庶民の文化であった埋葬法は廃れることなく続いていきました。 廃仏毀釈による火葬禁止令は約二年で廃止にされ、人々はそれまで慣れ親しんだ方法で埋葬を行いました。 明治時代以降、それまで土地を仲立ちにした封建制度である幕藩体制は崩れ、人々はそれまでと比べて頻繁に行き来をするようになりました。 また江戸幕府が定めていた寺請制度である、檀家制度も少しずつ崩壊していきます。 産業は農業中心から商工業にシフトしていき、結果として人口は都市部に集中していきます。 そのため、都市部では少しずつ寺社のみで対応するには墓地の数が足りなくなっていきました。 明治時代から都市部に公立の霊園が作られました。東京で有名な都民霊園である青山霊園は1874年明治7年に作られています。 このころから少しずつ墓地問題は発生し始めてきました。

戦後の墓地への考え マイホーム、そしてマイお墓

戦争により、人口の減少や疎開による地方への人口の流出はあったものの、その後の日本の人口は都市部に集中していきます。 高度経済成長期に、「金の卵」や「集団上京」などにより多くの若者が都会に移り住んでいきました。 そういった若者たちには当然江戸から続く先祖代々の墓などなく、自身が埋葬される墓は自身で購入しなければなりませんでした。 ひとつのムーブメントとして、都会に出て一生懸命働きマイホームを買う。マイホームを買ったら次はお墓の購入だ、という風潮が当時の日本にはあったのです。 彼らのイメージするお墓というのは、故郷にあった江戸や明治から続くあの墓石のイメージです。一億総中流と言われ、みなと同じものを手に入れる。 それを目指した日本人が最後に求めたのはあのイメージのお墓で安らかに眠るということでした。 こうして墓地問題は少しずつ進んでいき、そうして現代において土地問題の一旦として世間に認知されるようになったのです。

4.現代が抱える墓地問題 その海外事情

実はお墓の問題は海外でも同様に議論されています。 火葬の割合が99パーセントである日本で生活していると信じられないことかもしれませんが、海外では先進国でも宗教によって根強く土葬が行われているところもあります。 高層建築のように上に大きくするということが墓地にはできません。風習として土に埋葬するという考えとそもそも分解するために埋葬しているという理由からです。 そのため、日本以外での国でも墓地問題が起こっている国があるのです。

海外の墓地問題

海外で起こった問題のひとつとしては土壌の汚染がありました。もちろん人間の遺体を土に埋めても土壌は汚染されません。 しかし、土葬をするときにその遺体の副葬品として収められた貴金属などが地中で溶けて流れ出し、周辺の土壌環境を悪化させるということが起こりました。 また土地がそう広くない国では墓地がその貴重な国土を使ってしまうことが問題になっています。 これは日本の都市部と同様の問題なのですが、海外の場合それに加えて土葬してしまっているというところに問題がありました。 政策として何十年か経った墓は廃棄して同じ場所に新しい墓を作るという方式を打ち出しました。 しかし、その廃棄して整地したあと新しく埋葬を行なう段階で問題が起こったのです。 それは埋葬を行なおうと穴を掘ると、その数十年前の遺体がまだ分解されずに残っていたのでした。 現代私たちが使っているものの多くは石油からできており、それは分解者が分解しにくい物質であったのが原因のひとつです。 また気候などから遺体が分解されにくいということも問題のひとつでした。 そのため、政策として数十年掛けて行ってきた墓の再利用が行なわれず、大きな社会問題になっている国もあるのです。 そういった問題から、宗教的な教義では土葬すべきだ、と言われていた国や地域でも、現実的な理由から火葬をする地域が増えてきました。 そして納骨堂という形式で埋葬していくことが多くなってきています。しかし、この方法を使っても、いつか納骨堂がいっぱいになってしまうという問題が発生するでしょう。 そのときのどうするべきか、墓地問題は子孫たちに残した時限爆弾でもあります。 伝統を守るべきか、それとも実利をとるべきか。土地に関する問題でもある墓地問題は日本だけでなく多くの国で議論されつつある、人類全体の問題です。 その問題は先送りにし続けるのではなく、いまこと考えるべき問題なのではないでしょうか。

5.墓地問題を解決する方法
~その方法、正しい? 正しくない?~

日本では最近、墓地問題を解決する方法として樹木葬や永代供養という方法に注目が集まっています。 この方法に対して親戚間でトラブルが起こることなどがあるそうです。 例えば、故郷に一家の代々のお墓があったのに散骨してしまい、そこに遺骨を納めることができなくなってしまったというトラブル。 本来の埋葬の方法ではない方法で遺骨を埋葬してしまったため故人の霊が浮かばれない、と言われたなどというトラブル。 そのようなトラブルは全て「本来の決まりきった」葬儀や埋葬方法ではないというところが全ての原因です。 先に挙げたように、日本の葬儀や埋葬の歴史は古代より面々と受け継がれてきたものではありません。 そのため、本来の決まりきった伝統的な方法など確立しているとは言いがたいのです。 その時代の文化や風習、時代背景に合わせて葬儀があり、葬儀に合わせて私たちの生活があるのではありません。 当然宗教的な儀礼として受け継ぐべき伝統はあります。しかしそれは私たちの社会生活を圧迫するほどのものであってはならないのです。 納骨堂形式の埋葬や永代供養、樹木葬は今の時代が生んだ埋葬方法です。私たちの祖父母の時代からでは想像もできませんが、宇宙葬という散骨の形も現在検討されています。 それは果たして、ばち当たりでやってはいけないことなのでしょうか。あなたの先祖代々のお墓にはどこまで前の先祖の遺骨が収納されているのでしょうか。そこにない先祖の遺骨はきっとどこかに散骨されているはずです。

5.もう一度考えてほしい あなた自身の葬儀

私たち人間のみならず、動物全てには寿命がありいつか死を迎えます。 死んだ生き物が安らかに眠りについてほしい。死後の世界に迷わずたどりついてほしい。 遺された遺族の悲しみが和らいでほしい。そんな願いから葬儀と埋葬の文化は変化し発展してきました。 産業革命以後、食糧供給の改善や医療技術の発達による衛生状態の改善により、人間はその数を爆発的に増やしてきました。 その増加に対して少しずつ葬儀や埋葬の方法も変化してきています。そういった変化を単に今までと違うから認められない、という一言で片付けてしまってもいいのでしょうか。 土地という資源が限られたものである以上これからも墓地問題は続いていきます。 葬儀や埋葬についていうならば、誰かが革新的な方法を開発しそれが万人に受け入れられるということはありません。 大衆の考えが葬儀と埋葬の形を作るのです。葬儀と埋葬は感情から行なうものなのです。 かつては個人という認識よりもまず集団という記号を付けられた人間は、今では個人という他のだれでもない自分というアイデンティティーを手に入れ一人ひとりがその自分らしさを主張しています。 あなた自身の葬儀の形、あなたが望む埋葬の方法、それを一度よく考えてみてください。 終活はただ家族内のトラブルを避けるために行なわれているのではなく、葬儀というひとつの文化をあなた自身が選び取っていく作業なのです。 有史以来続く人間の歴史で人間は多くのものを発明し、その文明を発展させてきました。しかし人間そのものはほとんど変わっていません。 生まれ、生き、そして死んでいく。将来不老不死などの技術が開発されない限り人類はこのルールのうえを生きていきます。 死という定めを逃れられない以上葬儀はずっと行われていくのです。あなたの家族やあなた自身の葬儀について、一度家族で話し合ってみてはいかがでしょうか。 それはきっとこれからの葬儀を作っていく一票になっていくはずです。