これからの霊園 これまでの霊園

これからの霊園 これまでの霊園

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私たちが日常の墓の集まった場所のことを墓地ということがあります。 しかし、身の周りにあるお墓を集めた場所の名称を見てみると霊園という名称が付けられていることが多いです。 では、そもそも墓地と霊園の違いはなんでしょうか。

墓地という言葉の意味を調べてみると、墓の集まった場所、とあります。 霊園という言葉を調べてみると、公園のように整備され道などがある共同墓地、とあります。 では共同墓地とは何でしょうか。結論から言うと、普通の墓地と言うものが、なんらかの宗教施設に関わりのあるお墓の集まりなのに対して、共同墓地というのはそういった縛りのない墓地のことを指すようです。

日本人になじみの深い言語である英語で調べてみても、グレイブヤードという単語が、教会に関係のあるお墓の集まりを指すのに対して、セメタリーというのは、教会に属さない共同墓地という結果が出てきます。 英語に関しては他の語との結びつきもあるため一概に教会に所属しているか否かだけで分けることはできないですが、教会に属しているのか単純に埋葬する場所であるのかという点がもともとの分け方だったようです。

そのような分類で考えてみた場合、日本における霊園と墓地という単語の使い分けについても比較的近い関係性があるようです。 日本にはかつて檀家制度、別名寺請制度と呼ばれるシステムがありました。 これは江戸時代に行なわれた宗教政策のひとつで、国民をどこかの菩提寺に登録させる、というシステムでした。 これにより国民の大部分がどこかの寺院に登録され、仏教徒として扱われました。 その背景としてはキリスト教の伝来がありました。宣教師の教える、全ての人民は等しく平等である、という考えは当時江戸幕府が作った身分制度に相反するものだったのです。国としての宗教を仏教と定め、その菩提寺に登録していない人間を差別することによって、宗教をコントロールしようとしたのでした。

そのため葬儀などはその菩提寺の管轄でおこなわれました。このシステムは明治時代の廃仏毀釈で解体されましたが、葬儀そのものを菩提寺で行い、そしてその寺院の境内にある墓地にその檀家は埋葬されることになりました。そのため当時の埋葬場所は「墓地」だったのです。

しかし、檀家制度が解体されたこともあり、時代が経ていくにつれてその菩提寺で葬儀を行うというシステムは廃れていきます。江戸時代までの土地を仲立ちにした封建的な制度は崩壊していきました。人々はその従事する職業を農業から商工業に移していき、結果として都市部に人口が集中していきました。都市部ではそれまでと比べて多くの墓が必要となっていきましたが、その反面、檀家などのシステムから外れていたため、より多くの「霊園」が都市部で必要となったのです。そのため、都心部では檀家制度を介さない霊園が作成されました。都心部にある大型墓地として有名な青山霊園は1872年(明治5年)に開設されました。五十四年後の1926年(大正15年)にその全てが東京市の管轄となっています。このように日本の霊園の歴史は比較的浅く、檀家制度が崩壊した明治時代以降のものがほとんどです。また、現在のような縦長の直方体の墓石を利用した墓も江戸後期以降に見られるようになりました。

結論として、墓地と霊園という言葉の定義として、まず管理者がどこであるのかということがあります。かつての檀家制度によって寺社によって作られ使用されているものは、寺院墓地。公営の施設としてのものが公営霊園。公営でなく、かつ檀家制度とは関係ないものが民間霊園です。そのため、寺社にあるものでも最近は霊園と呼ぶことが多いのです。

海外の有名な墳墓

墓地や霊園は墓地の集合です。ではお墓という言葉を耳にしたときにあなたは何を想像するでしょうか。お墓は日本だけにあるのではありません。当然海外にも同様にお墓が存在します。お墓の中には世界遺産になっていたり、世紀の大発見になっているものも多くあります。ではそのようなお墓としてどのようなものがあるでしょうか。

エジプトが誇る4000年朽ちない墓

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世界でもっとも有名なお墓のひとつとして、ピラミッドがあります。 これらは今から4000年ほど前のエジプト文明で作られました。 当時、太陽信仰などを行なっていたエジプト文明では、死後の世界と転生というものが信じられていました。 王が死後の世界で困らぬよう、そしていつか来る復活のときまでその肉体を腐敗させないために、 王の体をミイラとして保管しその財も共に埋葬しました。 内臓などもきちんと防腐してミイラとともに保存しました。 また、その太陽の運行に永遠に対する秘密が隠されていると考えた彼らは、 ピラミッドの各面を東西南北に正確に分けたといいます。 多くの王がピラミッドを作りその永遠を信じたのです。

ピラミッドは巨大な石材を積み重ねて作られています。 その巨大な石材を運ぶために多くの労働者が使われました。 そして完成させるために長い月日が必要とされました。 当時の王がどれほどの権力をもちそれを作ったのか。 現在ある重機などを使わず同じようなピラミッドを作ろうとした場合に、 どれくらいの費用がかかるのかということを考えると分かると思います。 歴史上のこういった大規模な墳墓というのはたいていの場合王侯貴族などの権力者によって作られているのです。

20世紀後半に発見された中国史上最大級の墓

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大規模な権力者の墳墓は現在での世界の多くに残されています。 同じアジアの中国には有名な墳墓、始皇帝陵兵馬俑坑があります。 一般的に兵馬俑という名で知られているこの墳墓は、中国史上初の統一皇帝である始皇帝の墓として作られました。 1975年に発見されたこの世界的にまれな大規模な墓は約8000体の俑を有していました。 俑というのは日本でいう埴輪のようなもので死んでいく権力者があの世でも困らぬよう、 現世にある生き物を焼き物で作り、それを埋葬するというものです。 多くのものは兵士や役人であり、あの世に行っても現世と変わらぬ生活ができるよう送られたものでした。 俑はその一つ一つが異なる外見をしています。ひとつずつ焼き物を意図的に分けて作っていく。 それを全て作り上げるのに、どれだけの時間と費用が掛かるのかということを考えると、 始皇帝の存在が当時の中国でどれだけ大きなものであったかということがわかるでしょう。 またその埋葬場所が長年の歴史の中で失われてしまい発見されず、 20世紀後半まで当時のまま埋葬されていたということも驚きです。

最愛の妃に宛てたイスラム芸術の粋を尽くした墓

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またインド北部にあるアーグラのタージ・マハルも世界一有名な墓のひとつである。 ムガル帝国の安定期に即位したシャー・ジャハーンが妃のために建造したこの建築物は世界遺産にも選ばれているが、 それが妃の霊廟であるということを知っている人は意外にすくない。 妃の後世に残る墓を作ってほしい、という遺言は時の権力者であるシャー・ジャハーンによってかなえられた。 その周辺設備も含めて22年かけて作られたこの建築物は、現在でもその壮麗さをそのままにしている。 当時のイスラム芸術の粋を尽くして作られたタージ・マハルは現在でも世界で最も美しい墓といってもいいでしょう。

現在でも残るこういった古い墳墓はあくまで王侯貴族のために作られた特別なものであり、 庶民の墓地、霊園としてはかけ離れています。 莫大な財産を使って作られたそれらの墳墓は当時の芸術や文化がどういったものであったのか、 ということを現代の私たちにダイレクトに伝えてくれます。 しかし、一般人がどのように生活しどのように埋葬されたのかということはあまり伝えてくれません。 一般の国民の埋葬された墓地としてはどのようなものがあるでしょうか。

観光地として有名な世界の墓地

王侯貴族とは関係なく、一般の国民が埋葬された墓地の有名な場所として、 サン・ミケーレ島やトリニティ教会の墓地があります。 先に挙げた王侯貴族の墓はその時代の芸術や文化、そして特権階級の人間の思考などを表現しています。 一方で庶民の墓が表現しているのはその時代の埋葬に対する文化です。

ヴェネチアの住人の魂が還る場所

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サン・ミケーレ島はヴェネチア北東部にある島で、その大部分が墓地になっています。 墓地であるということは教会に併設された埋葬施設ということです。 その母体となる教会は1469年から建設され始めたイニーゾラ教会でした。 世界的観光地にもなっているこの墓地は主にキリスト教徒の墓です。 宗派ごとに分かれて作られた墓地は荘厳な風景を作り出しています。 サン・ミケーレ島にはもともとはそこまで多くの墓はありませんでした。 しかしのちの歴史により、ヴェネチアの墓地として設定され、現在でもその島への埋葬をおこなっているそうです。 しかしその土地はほぼ限界に近く、最近は永代供養の形をとるなど少しずついままでの方法とは違った埋葬法がとられています。

世界の中心、ニューヨークマンハッタン島にある歴史的墓地

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また、もうひとつの有名な墓地としてニューヨークのマンハッタン島にあるトリニティ教会の墓地があります。この教会はニューヨークの有名な通りであるブロードウェイとウォール街の交差点に位置する教会です。有名な世界貿易センタービルの近く、ダウンタウンの一等地にこの教会はあります。その墓地は現在でもマンハッタンに行けばその当時の姿のまま見ることができます。その雰囲気は作られた当時の空気を今でも有しており、世界の金融の中心地のすぐそばで、アメリカの歴史を感じることのできる貴重な場所として観光地になっています。

このように世界の各地に観光名所として古い墓地が残されています。しかし、逆にいうならば観光名所として成立してしまうくらい古い墓地というのは貴重な存在なのです。あきらかに今ある墓地の数とこれまでの歴史の長さの釣り合いが不自然なのは自明の理です。ではそういった墓地がないのはなぜなのでしょうか。

世界の人口と墓地

最近の研究では、これまでの人類の累計人口は約1080億人だそうです。 産業革命以前の人類の寿命は短く、多くの国では平均寿命が40歳未満でした。 しかし近現代になって医療技術の進歩や衛生環境の改善により、死亡率は大幅に減少しました。 結果として2017年の段階で人類の人口は75億人を超えました。 これは人類の累計人口の約7パーセントであり、その累計人口から考えれば どれだけ多くの人間が今このときこの地球上で生活していることがわかるでしょう。 そしてその反面、今まで埋葬されてきた人間は現在世界中で生活している人間のおおよそ13倍いることになります。

では、これまでに亡くなってきた約1000億人の遺体はどこにいったのでしょうか。 今まで地球上にいた90パーセント以上の人間はすでに死んでいます。 しかし、世界に残る多くの墓地を全て合わせても、その数は現在の人口にも満たないはずです。 多くの墓地は最近になってから作られています。 つまりほとんどの人間の墓は作られず、作られたとしても現在まで残っているものはほとんどないのです。 古くからある墓地は前述したように観光名所になるほど貴重なのです。

多くの権力者の墓と一般人の墓地からわかるように、お墓というのは高級品です。 近現代になるまで、個人の墓を持てるほど一般の人に財産はありませんでした。 食糧事情が安定しその生活が安全なものになり、余剰な財産を持てるようになって、初めてお墓が購入できるようになってきたのです。 そのため、それまでの、生活するだけで精一杯という文明段階での一般人のお墓というのはほとんど残っていないのです。

日本において、一般庶民が埋葬方法や場所などに注目するようになった理由として先に寺請制度があります。 菩提寺と檀家の結びつきが強くなり結果として墓というものについてそれまで以上に考えるようになったのが江戸時代でした。 そのため現代に残る多くの風習は江戸時代から伝わってきたものがほとんどなのです。  江戸時代以前は多くの人はお墓をもたず、風葬、土葬などといった方法で葬られました。 日本において、個人個人が墓を所有するというようになったのは歴史上わずかな期間であり、 ほとんど現代に残るお墓は長い歴史をもっていません。

人間の遺体の分解速度

お墓が残っていないということは、亡くなった人々は墓地ではないところに埋葬されています。 では、いままで亡くなった累計1000億人の人たちがいる以上、どこかを無作為に掘ったときにその人骨は出てくるのでしょうか。

土葬した場合でもおおよそ30年から100年で完全に分解されます。 そのためよほど特別な状況で埋葬されたわけでもない限り、江戸時代の人骨が出てくるなどという状況は起こりえません。

生物の遺体というのは放置して風葬すると少しずつ分解者である微生物に分解され、残った骨などは風化していく。 古代の日本ではこのような風葬の方法を取っていました。特定の場所に遺体を放置し、その遺体が完全に腐敗して骨だけになるのをまつ。 それから残った骨だけを埋葬する。もしくはそのまま遺体を放置してその骨が風化するのを促進する。 結果として骨まで完全になくなるという点では一緒ですが、骨が風化してなくなるのか、地中の成分が分解して溶けていくのかという点では違いがあります。

人間を含む生物は、死亡したあと土に埋めると、地中に存在する微生物によって分解されます。 しかし微生物によって分解されるのは有機物だけなので髪の毛や骨などの無機物は比較的そのままの状態で残ることになります。 無機物は土壌によって少しずつ溶かされていきます。 酸性が強い土壌では比較的早くなくなり、反対に酸性が弱い土壌では無機物を分解するのに時間が掛かるのです。 また温度などによっても分解速度は異なります。温度が低ければそれだけ分解者の分解スピードは遅くなります。 そのため、現在でも土葬をすることの多い北欧などでは、数十年前に別の人間が埋葬されていた場所に 新たに亡くなった人を埋葬しようとした場合、数十年前の人間の遺体が出てきてしまうということがあるのです。 海外でも墓地というものは場所が指定されており、一定の期間が経ったあとで別の人間の墓として再利用することもあります。 そのため、土葬した遺体がそのように出てきてしまうことがあるのです。

火葬率が100パーセントに近い日本からすると信じられないことかもしれませんが、 先進国であるフランスでも、2000年の段階で火葬率は20パーセント程度なのです。 そのため、埋葬方法というのはそういった国でも問題になっています。 様々な都合から少しずつ火葬が増えていますが、最終的な遺骨の分解ということも含めて考えると、 時間やスペースのかかる埋葬方法というのは少しずつ見直されています。 墓地問題というのは日本のみで起こっている問題ではなく、世界中の先進国に起こっている問題なのです。

お墓の意味 そしてその歴史

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そもそもお墓は何のために作るのでしょうか。 先に挙げたピラミッドなどの王侯貴族の例の場合、あの世での家などの意味合いがありました。 しかし、庶民にとってはそういった意味合いはなく、遺体を処理する場所という意味合いとお参りするという意味合いがありました。 これについては世界的な様々な宗教をみても同じような意味合いがあり、人類普遍の死に対する価値観がその根底にあるのだと思います。 人間の死亡率は100%です。歴史上のどんな偉大な人物でもその死から逃れることはできません。 そういった根源的な死や寿命に対する恐怖や、腐敗していくことに対する恐怖。 時の権力者はその恐怖から逃れるために莫大な財産を使い自分の死後の家となる墳墓を建設したのです。

日本の場合、こうした墓石を伴うお墓というものが、 貴族階級ではないものにも使われるようになってきたのは、江戸時代以降でした。 江戸以前に関しては鎌倉時代以降に五輪塔と呼ばれる墓石の一種が作られるようになりましたが、 これは石材を削って作り上げた彫刻のようなものであったため、 一部の富裕層や武士、僧侶の墓標にしか使われることはありませんでした。 今のような墓石が一般的に使われるようになったのは江戸時代以降です。 江戸前期には死者が成仏できるよう、遺族が祈る対象として墓石が使われました。 中期以降には墓石そのものが故人の霊魂がとどまるよりしろとして見なされました。 またそこに埋葬される人間も変化してきました。もともと墓はひとりにつきひとつのものとして扱っていました。 男性が成仏するために作るのが墓だったのです。では女性はどうだったのでしょう。 中世以降の仏教観として女性は穢れのある生き物であるため、死んだ場合は血の池地獄に落ちるとする考えがありました。 しかし、夫が現世で苦労をかけた妻だけは救ってあげたいという気持ちから、 その墓は個人のものから夫婦を対象としたものに変化していきました。 明治時代以降になると、墓は個人もしくは夫婦のものであるという考えから、 家のものであるという考えが少しずつ広まっていきました。 1900年ごろから1960年ごろまで多くの墓は家を対象としたものでした。 しかし、この形式の墓というものは日本の葬儀史を見てみるとこの時期のみのものでした。 先祖代々つづくお墓の歴史や系譜を守らなければならない。 先祖代々というのは大抵の場合1900年以降のことであり、日本の歴史全体から考えるとそこまで長い歴史ではないのです。

今考える現在のお墓の役割

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死後の世界や成仏ということについての目的意識は現代では少しずつ薄くなってきています。 多くの事象は科学的に証明され、宗教が神という装置を使って説明していた摩訶不思議なことがらはほとんどなくなりました。 そのため、宗教が社会に対して果たす割合は少なくなってきました。 かつてドイツの哲学者ニーチェは「神は死んだ」という言葉を残しています。 その言葉の意味するところは、超自然的な事柄や魂よりも自分の人生における健康や住居などの問題のほうが大切であるということです。 それまでわからないこと説明の付かないこと、困ったことなどは全て神のせいにしてきました。 しかしそういったことが科学的に解明されていくにつれて、神と宗教の役割はどんどんと減ってしまったのです。 では、その宗教をベースに作られたお墓の役割とはどんなものなのでしょうか。

お墓がなければ亡くなった人が成仏できない。 心の底からそれを信じて納骨を行なっている人はそこまでいないと思います。 しかし、故人に対する問いかけを行なう場としてのお墓の役割はこれ以降も変わらないと思います。 そして先祖に対する敬意を表す場としてのお墓の役割も変わらず存在するはずです。

スピード化や効率化などが進んでいく現代では人間の心がおざなりにされがちです。 いじめ、パワハラ、ブラック企業などという言葉は最近になって増えてきました。 当然それらの事柄は歴史上いくらでも存在していたと思います。 しかし社会問題として取り上げられるようになった以上それは社会全体で解決していかなければなりません。 現代の人間の心を癒し、そして自分がここに存在していることを感謝する。 お墓がそういうことを行える場所のひとつになればよいのではないでしょうか。

先進国が抱える墓地問題

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日本における墓地問題は近年徐々に深刻化してきています。問題点は大きく分けて二点あります。

まずはお墓の継承問題です。 それはここ100年ほどで急激に作られるようになった家族の墓を、継承する人がいなくなってしまったという問題です。 家族の墓は代々の長男が家とともに引き継ぎ管理していくという予定だったのですが、 人口の都市部への集中や地方の過疎化などにより、後継者のいない墓が増加してしまったのです。 また、自分の先祖代々の墓の存在を知らされないこともあります。 結果として墓地や霊園に子や孫に知られることなく放置された墓が増え、 それを自治体が費用を負担し処分するという事例が起こりました。 多くの過疎化地域では人口減少により霊園自体の管理すらおぼつかないという状態になっています。 集落として管理していた地域住民のための霊園がその管理の担い手の減少と高齢化により行なわれなくなりました。 結果として霊園そのものが荒廃してしまっているというという状態なのです。かつて流行した一家代々の墓も現在では時代に合わなくなってきてしまっているのです。

ふたつめは供養難民です。 これは都市部において、お墓の土地を確保できず自分が死んでしまったあとで入る墓がない、という状態です。 先進国ではどの国でも土地の不足は問題になっています。都市部における土地の不足はどの国でも変わりません。 そのため都市部では高層ビルが作られてきました。それによって人口密度は上がりより都市部に人口は集中しています。 墓地や霊園はその性質上、土を必要とすることが多いです。二階以上の建物で墓地や霊園を作るということはできないのです。 それらの理由から墓地が不足しているのです。 そのため都内の都心部にある公営霊園では申し込んでも10倍を超える倍率のため場所を確保することができません。 また少なくとも一区画200万円以上の費用が掛かるため費用的な面から申し込むことが難しいという人も少なくありません。

この問題は実は日本だけの問題ではないのです。 使用可能な土地の少ない北欧などでは墓地として一人の人間が利用できる期間が決まっています。 そのため一定期間が過ぎるとその土地を次の人間に墓所として解放するのです。 また世界の多くの都市ではその墓地のスペースが確保できないのです。 そのため、多くの場合は政府や自治体などがそれに対してなんらかの対策をしていることが多いです。

永代供養とは

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永代供養というのは、墓を利用せずに散骨を行なう方法です。 一般的な埋葬の方法というのは、お通夜を行い、葬儀を行い、告別式を行い、出棺をして、火葬を行います。 火葬、拾骨、を行い初七日から四十九日の法要を終えてからお墓に遺骨を埋葬します。 永代供養というのは、このお墓に遺骨をしまうということをせずそのまま散骨をするのが永代供養です。 現代に住む私たちには遺骨はお墓にしまうのが常識として染み付いているかもしれません。 しかし歴史上では散骨をしていた時期のほうが長いのです。何をして正しい供養の方法とするのかには個人差があります。 しかし、供養というのはなくなった方に対する思いを表現し、遺された人たちがどのようにこれから生きていくのかというものです。 そのため、これが正しい方法であるという供養の方法など存在しません。

海外ではどのように供養を行なっているのでしょうか。 キリスト教圏では、いまでも土葬を中心に行なっているところが多いです。 しかし墓地問題などやその他衛生面などから少しずつ火葬が広がっている国や地域も多いです。 そのため今までとは違い散骨というものに関して見直しが行なわれています。 かつては散骨の多くは森林の中で行なわれて来ました。遺骨を森の中に撒き、参拝の対象として墓石をその近くに作るという形式でした。 そういった森林層に加えて、最近では海洋での散骨も多く行なわれるようになりました。 しかし、国によってはその灰や骨に対して厳しく制限をかけている国などもあります。

もう一度考えるべき、埋葬の形

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ここまで様々な時代や様々な国の埋葬の形をみてきました。 結論から言うならば、現代私たちが行うべき葬儀の形や埋葬の形に正解はありません。 そのため、こうしなければならないという絶対的な方法はないのです。 私たちが常識だと感じている葬儀の方法も多くは江戸時代の文化や風習の中から作り上げたものでした。 先祖代々の墓ですらここ100年間のものなのです。

改めて墓地問題や埋葬の方法について考えてみましょう。 参拝の対象としての墓を残すべきなのか散骨してしまうのか。 そのどちらを故人が望んでいて、そのどちらを遺族が望むのか。 それをもう一度考えるべきではないでしょうか。

墓地や霊園はその時代の文化や風習などを反映します。 またその時代の社会の考え方を表しています。 そのため変化を起こし、新たな方法で行なっていくのは必然のことなのです。 何より個人個人が納得のいく方法で故人を弔う、それが本当の弔いであり本当の意味での葬儀なのではないでしょうか。