遺骨の行方 これからの霊園を考える

日本の葬儀や埋葬の風習

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世の中の生けとし生けるものにはすべて寿命があり、わたしたちも人間である以上いつかその日はきます。親や兄弟、今住んでいる家族など、いつか来るその日のために心構えをしておかなければなりません。そのときを迎え、悲しみや戸惑いにくれるなか、どのように葬儀を行っていくのかそしてどのように埋葬していくかは、これからのわたしたちに課せられたひとつの使命です。

日本の現在の埋葬文化は江戸時代を由来としています。火葬自体は民衆に仏教が広まった鎌倉時代にすでに行なわれていました。しかし、当時は埋葬に対する文化はそこまで広がっておらず、村の入会地や埋葬場所として決められた場所に土葬や風葬という形で埋葬されていました。その後、少しずつ石塔を使った墓標の文化などが広がっていきましたが、このような死者に対する埋葬を行なえたのは為政者や権力者のみで、一般の民衆にはそうした埋葬法を行なうことはできませんでした。

現在でも残る日本の葬儀に対する文化や考え方は江戸時代に発展したものです。戦乱のない平穏な時代は民衆の文化を発展させました。三回まわしや守り刀、仮門、六文銭などの土着の信仰はこの時代に起こり、いまでも日本人の文化に根付いています。

火葬大国日本 その起こりとは

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江戸時代のころから、日本の都市部は世界的に人口密度の高い地域でした。そのため埋葬場所という人口密度の増加にともなって起こる問題にいち早く直面しました。現在外国でも起こっている墓地問題と同じような諸問題が都市部で起こり、自然発生的に火葬が普及していきました。残っている資料では日本の火葬のパーセンテージは、1897年(明治30年)の段階で29パーセント。これは近隣諸国と比較すると2000年の韓国とほぼ同じ水準です。1905年(明治38年)の都市部では大阪が90パーセント、東京が58パーセントと非常に高い数字が残っています。戦後、一時期その数字は低下したものの、現在では99パーセント以上が火葬されているという世界で有数の火葬大国なのです。

火葬するということは、衛生面で非常に良いという点があります。また土葬に比べて必要な土地が少なくなるという土地問題でのメリットもあります。諸外国でも感染症に対する問題や、土壌の汚染、小さい国では墓地にあてる土地が不足するなど、21世紀に入りいまだ増え続ける人口は同様に世界中で埋葬問題を発生させています。火葬の割合が2009年段階でイギリスでは約7割、アメリカは約4割ということを考えると、日本は埋葬問題に対して世界に先駆けて火葬を普及させた国でもあるのです。

土葬と比較した場合、火葬にももちろんデメリットもあります。ひとつめは経済的な面です。かつての日本は両墓制という埋葬システムをとっていました。その地域ごとに決められた埋め墓と、遺族が詣でるための詣り墓のふたつがあり、埋め墓は日常生活する場所からは離れたところに作られました。そして詣り墓は比較的近い場所に作り故人に対して祈りを捧げていました。この方法はあまり費用がかからず行なうことができました。ふたつめのデメリットは日本の葬儀文化により起こった問題です。

都市部で起こる墓地問題の原因

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その問題とは遺骨の問題です。日本では遺骨は土に埋める、海洋などに散骨するなどせず、家族の墓に骨壷に入れて埋葬するのが一般的です。そのため遺骨が残ってしまい次々に墓が必要になってしまったのです。都市部での土地問題を解決した火葬という方法は、長い年月を経てあらためて土地問題を発生させたのです。

事の発端は明治時代の国策があります。明治3年それまでに武士と一部の有力商人にしか許されていなかった氏の使用を許可したことです。四民平等を謳う明治政府がその政策の一環として行なったことでした。その後明治8年には姓の使用を義務化します。その背景としては、日本という国を、天皇家を中心とした家制度の国である文字通りの国家にするという政府の意図と、国民を軍隊に組み込み兵隊として管理するために姓が不可欠であるという軍部の意図がありました。墓は家のシンボルとなり、日本の墓は家族全員を埋葬する家族墓が一般的になりました。墓の格は家の格を示すひとつの指標となったため、身分の高い家や経済的に豊かな家は立派なお墓を作りました。

第二次世界大戦を経たのち、高度経済成長期に都市部の周辺地域に多くの家族墓が作られました。地方から都市部に移動した労働者が故郷に錦を飾るという意味で、都市部に両親を呼び寄せ、その周辺地域に新たな家族の墓を築いたためです。自動車の普及とともに墓地は高速道路のインターチェンジ周辺に作られ、お盆などの長期休暇に墓参りをするということが日本の習慣として定着しました。このように休みに家族総出で墓参りをするという習慣は実は戦後の都市部のもので、家族内のレクリエーションの一貫として家族の絆を強くし先祖を敬うという意図がありました。この時期に急増した家族の墓が現代の墓地問題の原因なのです。そして家族で揃って墓参りに出かけるという風習は遥か昔から続く習慣ではなく、比較的最近始まったものなのです。

実家を出てしまったり、故郷から遠く離れた人々は、今住んでいる地域の周辺に墓をつくらなければならず、ある調査では毎年20万から30万の墓石が作られているそうです、つまりは新しく墓を購入する人が毎年20万以上はおり、それだけの墓所が必要とされているのです。もちろんこの傾向は都市部の方が強くなります。特に東京近郊では人口の流入が進み、都心部とともにベッドタウンとして人口が急激に進んだ地域では墓地や霊園の不足は顕著になりました。姑と同じ墓には絶対に入りたくないという嫁や、実家と勘当したため入る一族の墓がないという話などもあります。このように時代が変わり家族内の関係性が希薄になったこともその墓の購入の増加に拍車をかけています。

海外の葬儀と埋葬事情

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そもそも外国では同じような遺骨の問題が発生していないのでしょうか。火葬を行っている主要国の例をいくつか挙げてみましょう。

最初に紹介するのはキリスト教圏の国々です。キリスト教と言っても宗派によりその教義は異なります。日本に次いで高い火葬率を誇るイギリスでは、日本と遺骨に対する考え方が違います。日本では遺骨を埋葬するのが一般的な考えなのに対して、イギリスでは遺骨は散骨する方が一般的です。スキャッタリンググラウンドと呼ばれる芝生があり、その芝生はその名の通り遺骨を撒き散らすための土地なのです。また散骨する場所として海洋もあります。遺骨は土に埋めても分解されるのに数十年かかるため、自然に早く返すという意味では散骨をしたほうが効率が良いのです。そのため、火葬したあとの遺骨は細かく粉砕されます。そしてその遺骨を遺族が取りに来ないこともあり、そうした場合は一定期間保存したあと、公的に指定された場所に散骨するのが一般的です。

同じヨーロッパの国であるフランスでは近年急激に火葬が増えました。主に火葬を望んでいるのは比較的新しい世代の人間です。腐敗に対する良くないイメージから、火葬を望む人が増えたのです。しかし急激な火葬の増加は日本と同じ問題を引き起こしました。そのため遺骨の行き先がなく困っている人が増加しています。近年起きた事件では、遺骨をどうしていいのかわからずにそのまま地下鉄に置き去りにしたというものでした。

もうひとつ、フランス人の遺骨に関する逸話としてこんなものがあります。もともとフランスでは土葬が主流です。パリなどの人口密度の高い都市部では現在の日本よりも深刻な埋葬場所不足に陥っていました。17世紀のパリでは遺体を埋葬する場所がなくなるほどの状態で周辺では疫病が蔓延し、食料がすぐに腐敗してしまうほどでした。また街を作る建材を切り出すためにパリは古くから地下の採掘場を広く掘り進めていました。パリの町並みの足元には古くから掘られた多くのトンネルがあり、しばしばそこは地盤沈下したりしていました。18世紀の後半に出された解決方法は、日本人の感覚からすると驚くべきものでした。なんとその遺体を火葬して出た遺骨をその地下トンネルに埋葬したのでした。パリの地下に乱雑に埋葬されていた遺体は15ヶ月の歳月を経てパリの地下にあった採石場に移されました。その地下に積み上げられた遺骨は現在でもカタコンブ・ド・パリと呼ばれる観光名所になっています。日本人の感覚からすると、遺骨を地下の採石場を埋めるために使うという感覚は少しわからないでしょう。そのうえ、その頭蓋骨を使って遺骨の中にハートを描いたりして、観光客を楽しませるという発想はないでしょう。

フランスの隣国であるドイツでは比較的葬儀に対する関心が低いです。葬儀も最後まで参加することは珍しく、遺体が最後どのようになっているのか確認するケースはあまりありません。遺骨に関しても業者や公共施設にまかせっきりにしていることが多く、納骨堂に埋葬しても25年間しか保存せずその後は廃棄しています。同じくドイツ語圏であるオーストリアも葬儀に関する関心は低く、昔は遺体が埋葬されるところまで遺族は確認しませんでした。葬儀を行った神父と墓堀人だけが埋葬に立会い、多くの遺体を一箇所にまとめて埋葬したため、個人の墓などはありませんでした。たとえ墓石があったとしてそこには遺体は埋葬されておらず、詣り墓であるというケースが多いのです。

日本と同じアジアに属し、仏教の産みの国であるインド。人口の多いインドでは昔から変わらない方法で埋葬をしています。火葬を行い、その灰と遺骨を川に流すという方法です。この方法を昔からとり続けているのはインドの宗教観に人生が川のようなものであるという考え方があるという説があります。火葬を行い川に流すという方法は結果として多くの人口を抱えるインドでも墓地問題を発生させずに今日まできています。日本での火葬の方法を考えると遺骨はかなりの量が残ります。日本で同じように火葬を行った遺骨を川で水葬することを考えると、川底は人骨だらけになってしまうでしょう。ではなぜ人口密度の高いインドの川がそのような状況になっていないのでしょうか。インドでは日本とは異なり長時間かけて遺体を火葬します。そのため遺骨はほとんど形を残さず、出てくるのは遺灰のみになります。そのため川に流しても遺骨がわかる状態で沈殿するということにはならないのです。

このように外国でも墓地問題が起こっている国やそうでない国があります。葬儀の方法はその文化圏により異なり、その方法によって起こりうる状況も変わるのです。

墓地問題のポイントは遺骨が残ってしまうということ

さまざまな国の埋葬法をみてきましたが、問題が起こるかどうかの最も大きな違いは遺骨を保存しておくのかそうでないのかという部分です。本来自然界において生き物は死んだ後埋葬されません。人間を除くほぼ全ての動物はその遺骸をそのままにし、分解者によって分解されるままにしているのです。墓が足りないと言う問題は、遺骨を保存するという自然には起こりえないことを人間がしているということと、その遺骨を保存する施設が減少することがなく、人口は増加していくためそれに比例して死者も増えていくということから起こっているのです。

かつて人口が今ほど多くなかった時代には、普通に土葬を行なっても墓が不足するという事態は起こりませんでした。そもそものちに残るような墓を作るのは為政者か権力者のみで、一般の人々は比較的自然に近い方法で埋葬されていたのです。産業革命後の人類全体の生産量の増加、そしてそれにともなう人口の増加から遺体の数も増加しました。そして生産力の向上から一般の人の墓を作ることが可能になり、百年以上後まで残る墓地が急増したのです。それまで墓を意図的に処理するということをしてこなかったため、一旦増えた墓があまり減らず、それ以上のスピードで墓が増えているので同然墓が増加していきます。人口の増加と一般層まで墓を持てるようになったことが現在の墓地問題を引き起こしているのです。

墓地や霊園を増やすことはできないのかという疑問

しかし、あらためて考えてみると、本当に全く墓を作ることができないほどに現在の日本の土地は不足しているのでしょうか。実際墓を作ろうと思えば可能な土地はあちこちにあります。しかし、実は法的な面で墓地を作ることはできないのです。

日本の墓地に関する法律は「墓地、埋葬等に関する法律」という法律で規定されています。自由に火葬や埋葬をすることはこの法律に触れてしまうためできません。この法律は1948年(昭和23年)に施行されました。実はこの法律の中で、火葬するか土葬するかについてはなにも規定されていません。この法律で規定されているのは、感情、衛生上、公共の福祉から火葬を埋葬、納骨を支障なく行うためのルールです。火葬そのものを行わなければならないというものではないのです。日本の火葬率が限りなく100パーセントに近い数字ではあるが100パーセントではないのは、土葬は法律上禁止されていないからです。そのため、日本のある地方では今での土葬をしているところもあります。当然都市部などでは条例によって規定されているため、土葬を行うことはできません。

火葬を行う場合は死後24時間以上経過していなければならない。火葬、埋葬、改装を行なう場合、市町村長の許可を得なければならない。墓地や霊園、納骨堂以外に遺体を埋葬することはできない。ここで言う墓地や霊園、納骨堂というのは宗教法人や財団法人が都道府県から許可を得た区域、施設である。これらの法律上の文言から、たとえ自分の土地であっても勝手に遺骨を埋葬することは禁止されており、それを行なった場合罰せられると規定されています。そのため、土地があればどこでも墓地にしてよいというわけではないのです。許可された法人の所有する認可された土地であることが条件になるため、山林などを所有していて、合法的に火葬したものでもそのまま遺骨をその山林に埋葬することは違法です。

では自宅供養として、遺骨を自分の家に保持しておくことはどうなのでしょうか。この墓地、埋葬等に関する法律では、埋葬は「地中に葬ること」として定義されているため、自宅供養の場合は問題ありません。現在東京都内で自宅供養として家族や親族の遺骨を自宅に所有している数は一説によると10万件ほどあるとされています。しかし、地中に葬らなかった場合でも明らかに保有していると見られない状態で放置した場合は、死体遺棄の容疑に問われることもあります。2010年に車の中に父親の遺骨を残したまま、その車を自分の所有の土地ではない場所に放置した男性が死体遺棄の容疑で警察に逮捕されたというケースもあります。

墓地や霊園に関してはこのように法律があるため、遺骨の扱いについてはきちんと行なわなければなりません。また、このような法律や条令から墓地はなかなかその絶対数を増やすことはできず、都市部の墓地難民はその数を増やし続けているのです。

遺骨に対する考え方 国内の地域ごとの違い

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人生において、火葬場で拾骨をするという経験をすることはそう何度もないでしょう。拾骨や納骨に関してよく知っている人はあまりおらず、経験したことがある人でもその詳細を覚えている人は少ないはずです。

拾骨の方法自体に関してはあまり全国的に違いはありません。しかし骨壷のサイズは東日本と西日本では大きく異なります。東日本では全ての遺骨を拾骨します。中部圏以西の地域では頭蓋骨や喉仏などの部分しか拾骨せず、それ以外の遺骨は火葬場で回収されます。その際に遺族に拾骨されなかった遺骨は、回収されたあと粉砕され供養塔などで供養されています。このように拾骨する量が異なるため、東日本と西日本では骨壷のサイズも異なります。直径にしておおよそ倍くらいの違いがあるのです。

また納骨の方法に関しても違いがあります。通常の家族墓を利用して埋葬する場合、その遺骨は一家の墓に納められます。墓の遺骨を収納するスペースは東日本では台座になっている石の上であるのに対して、西日本では直接土の上に収納します。また東日本では、骨壷にいれたまま収納しますが、西日本では骨壷から出して収納します。東日本の方法では遺骨は土に返ることはありません。そのため、東日本では納骨をしていくうちに収納スペースは限界が来ます。一方で西日本の方法では骨壷から出して土の上に収納するため、遺骨はいずれ土に還ります。

このような方式の違いは収容量の問題だけでなく、墓じまいしたあとの状況でも大きな違いが起こります。西日本の場合は、墓じまいをするときには墓石を土台の石だけを処分すればよいのに対して、東日本の場合は骨壷に残った遺骨をどうするのか、という問題が発生します。

では、日本の東西の納骨の方法の違いはどのようなところから来ているのでしょうか。西日本の方が遺骨の処分に対して柔軟であり、墓地問題が起こりにくい方法をとっています。これについては推測することしかできませんが、理由はもともと関西地域のほうが墓地問題が早く発生していたことにあるでしょう。東京という名前からも分かるように、もともとの日本の都である京はそれよりもはるか西の関西を中心にありました。鎌倉時代や江戸時代など政治的機関が東日本に来ることはありました。明治時代に東京が首都になるまでの都は、福岡、山口、広島、兵庫、京都、奈良、滋賀、福井と全て西日本にあります。また都こそはありませんでしたが、大阪はその経済的な中心として江戸時代には天下の台所と呼ばれ栄えていました。先に挙げたパリの例や現代の東京がそうであるのと同じように、都市が栄え人口密度が高くなれば、埋葬することに対する問題は必ず発生します。古くから墓地問題を抱えた関西地域では、その遺体の処分方法に関して早くから頭を悩ますことになりました。たとえば京都の有名な清水寺にも裏側にも大きな墓地があります。埋葬することは大都市の命題であり、そのため西日本は埋葬文化を成熟させてきたのです。骨壷と埋葬法の例だけでなく、遺骨を引き受ける多くの宗教的な施設の存在や遺骨に関する多くの物品がそれを物語っています。

関東圏こそ埋葬について考えていかなければならない

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現在日本における墓地問題は特に関東圏で深刻です。これは都市が成熟していくうえで必ず突き当たる問題です。この問題を解決していくには現在の埋葬方法である火葬して拾骨し、家族墓に骨壷に入れて納骨するという方法を変えていかなければなりません。墓地の不足や墓地の土地の永代使用権の高騰の原因は墓の需要が増える一方で、再利用できないという点にあるからです。これからは、遺骨の量を減らすもしくは遺骨が残らないような方法で供養を考える必要があるのです。

散骨という解決方法

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ひとつの方法として散骨があります。この埋葬方法は遺骨を山林や河川、海洋などにまいて供養するというものです。本来、散骨という方法は、法律から考えた場合都道府県の許可を得た墓地や霊園以外の場所に埋葬するという点で法律に違反しています。しかし、この法律はもともと感情、宗教、衛生、その他の公共の福祉から見て火葬や埋葬を支障なく行なうことを目的に作られています。現在の墓地の状況が支障なく埋葬を行なえる状態にあるのかということを考えると疑問を感じざるをえません。また、勝手に遺体を処分してしまうことを防止するために作られた法律であるため、火葬場の手続きなどをしっかり行なっているのであれば散骨という埋葬方法そのものに問題はないように思えます。

あるひとつの判例がこの法律ができてから40年以上あとに出ています。その判例とは実際に散骨を行なった人間に対するもので、本来の法律の主旨を考えると、節度をもって葬送目的に散骨を行なうのであれば死体遺棄にはならない、というものでした。もちろん他人の土地に勝手に埋葬することは法律違反です。しかし漁業権に影響を与えない海洋や決められた土地であればその遺骨を散布しても罪にはならないのです。文言上はグレーゾーンであり海洋や山林で遺骨を散布することは合法であると言い切ることはできません。しかし自治体に条例などで散骨を禁止されていない場所で、他人に迷惑の掛からない場所であれば散骨も問題ないであろうというのが現在の解釈です。もちろん遺骨であればなんでも散骨してよいわけではありません。山林などで遺骨を発見した場合、事件性を追及しなければならないことから、遺骨が遺棄されているのかそれとも埋葬されているのかわかるように場所を選択しなければなりません。また散骨を行なう場合は、その遺骨が人に発見され事件としてとりあげられることを防ぐため、遺骨のそれぞれの破片が最も長い辺で2ミリ以下の大きさにまで粉砕したうえで散骨を行なわなければなりません。

樹木葬という散骨の方法

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現在多くの霊園が行なっている樹木葬も散骨のひとつの方法です。樹木葬はもともと墓石の代わりに樹木を植え、直接地中に遺骨を埋葬するという方法でした。もちろん埋葬される場所は霊園としてきちんと認可を受けた場所でなければなりません。岩手県の寺院で行なわれ始めた樹木葬は、樹木がそのまま墓石に代わるという方法でした。その方法が広がり、やがて合同供養の形でも樹木葬が行なわれるようになりました。このような葬儀の方法が一般的になった背景として、遺骨の行き先についての問題や墓地が不足しているということ以外に埋葬される側の心情的変化もあります。かつては家制度を中心にした考え方から家の墓に入り子孫に供養してもらうのが死後の幸せであると考えていました。しかし、時代の流れとともに死後は遺骨や遺灰を自然に還したいと考える人が増えてきたのです。樹木葬のみならず、海洋や河川で散骨する水葬、ロケットで宇宙に遺骨を打ち上げる宇宙葬、ヘリコプターやバルーンを使って空から散骨する方法など、遺骨を自然に還す方法は現在多岐に渡っています。

散骨など遺骨を土に還すという方法は、もともとの自然界のルールに則ったものであり、遺体をできるだけそのままの方法で保存するという地域を除けば世界的に一般的な方法です。海外でもそうしているように遺骨を上手に土に還すというのが土地問題を解決するひとつの方法ではないでしょうか。

遺骨を安心して供養するために 永代供養という方法

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近年注目を浴びているもうひとつの埋葬方法として永代供養があります。永代供養というのはその名のとおり、墓地や霊園の管理者が永久に供養をするということです。では、供養とはなんでしょうか。供養とは、仏教における三宝の仏法僧や亡くなった人間に対して何か得になることを意味する言葉です。現代の日本においては、故人に対して法要を行なうことやお供え物をすること、お経をあげることなどを意味します。そこから遺骨の管理をすることなどを指すようにもなりました。永代供養というのは墓地や霊園管理者がその後の遺骨の管理を引き受けるということです。一般の人間が遺骨をどうにかしようと考えた場合、最終的に埋葬できる場所が都道府県から許可をもらった墓地や霊園である以上、なんらかの形でそこに納めなければなりません。家族墓に納骨した場合でも、納骨堂を利用した場合でも自宅で引き取った場合でも、最終的に土に還さなければならないということを考えるとその決断を先送りにしているだけなのです。自分が死んだあとにその遺骨はどうなるのか、また家族の墓を引き継いだときにその墓に納骨されている遺骨をどうするのか、ということを考えるといつか誰かが決断することなのです。

永代供養の場合合同祀という形で他の遺骨と合わせて管理することがほとんどです。そのため、一旦遺骨を預かってもらうともう返却することはできず家族墓での供養という形が強くイメージにある人は少し抵抗があるかもしれません。しかし都市部での墓地問題ということを考えていくと、永代供養という選択肢もこれからの埋葬方法として考えていかなければなりません。遺骨を残しそれを祀り管理していくことは先祖や亡くなった方への供養の形でもあります。しかし、それは同様に下の世代に遺骨の管理と処分を任せるということにもなってしまうのです。

埼玉県東部での埋葬

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光輪霊園は埼玉県東部の松伏町にある霊園です。宗教法人善源寺光輪事業部が管理している霊園で、霊園という名称のとおり宗旨宗派などを問わずどなたにでもご利用いただくことが可能です。通常の一家のお墓という埋葬方法のほか、合祀墓を利用した永代供養や納骨堂を利用した埋葬などさまざまな選択肢の中から埋葬方法をお選びいただくことができます。

マイカーでお越しいただく方のために隣接する専用駐車場も70台完備しております。また公共交通機関でお越しいただくことも可能です。

埼玉県東部地域、越谷、春日部、吉川、松伏の周辺地域で葬儀やお墓についてのご相談がある場合はぜひご連絡ください。