正しい葬式の方法とは

民俗学からみる文化の変化

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文化や風習というものはどれくらい昔から伝わりどれほど残るものなのでしょうか。民俗伝承における仮説としてα波、β波、γ波という三つの波があるという仮説があります。これは明治時代以降における文化の伝播について語られたものです。

α波は伝統波ともいい、江戸時代以前から伝わる、近世以来の習慣や伝統などの国内での文化の波です。江戸以降に民衆の間で発生した文化や風俗の伝播です。戦乱の少ない江戸時代には、それぞれがその土地の文化やそれまで培ってきた風俗などを成熟させてきました。明治期以降もその文化は残り、現在の日本の慣習などのもとになっています。これらの文化は、人力や畜力、風力や水力などをさまざまな自然を利用した自給自足をもとにした文化です。日本に現在でも残る多くの祭りや地域の習慣などはこの時代に作られたものです。そのため、多く風習の起源は農耕をもととしたものでした。

β波は明治期や大正期に海外の文化によって新しく取り入れられた文化です。創世波とも言い、欧米文化を積極的に導入した上流階級による都市文化でした。近代の産業革命による資本主義的発想を取り入れ、いままでの日本の文化とは異なるものを作り上げました。特に美術などにおけるこの波による変化は顕著で、明治期から大正期にかけてそれまでの日本の伝統的な芸術と欧米文化が融合した新たな文化がこの時期に作られました。新しい芸術の形が起こり、和洋折衷という独特の文化はいまでも大きな評価を得ています。

γ波とは大衆波とも呼ばれる昭和30年代から40年代にかけての高度経済成長期につくられた新しい文化です。その時代にはそれまでとは異なり人口の移動が頻繁に行なわれるようになりました。結果として全国に個々にあった文化は都市部で混ざり合い、新しい文化が創られていきました。日本全体としてそれまでのような地域差や地域的特色が希薄になっていき、地域ごとよりも日本であるということが強く文化的に現われたのです。その結果それまでの大衆文化とは異なる文化が発生しました。

葬儀の変化を起こす3つの波

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葬儀における習慣に関してもこれらの波の影響が見られます。たとえば、東北はγ波が発生するまで比較的α波の影響を強くのこした地域でした。昭和30年代までの東北の埋葬方法は土葬がほとんどであり、入会地である土地に埋葬するのが一般的でした。γ波の到来により都市部から発生した火葬という文化が普及していったのです。昭和30年台以降一般的になったその埋葬方法は現在では当たり前のことであり、東日本大震災のときには設備などの不足から一旦土葬した遺体を改めて後日火葬していました。このように現在当たり前だと思われている文化というのは、さまざまな要因により揺れ動くものなのです。

たとえば北広島市にある古い部落では、葬儀のための講と呼ばれる組織が存在していました。部落内に死者が出ると、その菩提寺である寺院に連絡がされます。それと同時に講と呼ばれる組織が葬儀の準備を行ないます。講は部落内での葬儀を司る互助組織で、部落内で定められた葬儀の方法を伝承していました。講中規約として、香典となるお米の量、棺担ぎの人数、棺担ぎに振舞うお酒の量、積立金の金額、入講に際してのルールなどのほか、葬式次第やその際に必要になる会食の献立なども詳細に決められていました。また葬儀施設としてのお寺が決められており、部落の入会地である山の入り口には火葬場も持っていました。葬儀というものが部落内とその菩提寺で完結していたのです。しかし時代が進み高度経済成長期になると公共の葬儀施設や葬儀業者の参入が起こりました。過疎化の進む部落では、講が互助組織として成立しなくなっていきました。2010年頃には部落の葬儀は近隣の公共葬儀施設を利用することになったのです。葬式次第についてもそうした葬儀場が執り行うものに成り代わっていきました。このように葬儀の方法は地方では旧来の方法が守られていましたが、γ波の影響や深刻な過疎化などにより少しずつ都市部のものに飲み込まれていったのです。

世代間相違による文化の伝達の差異

世代間相違(ジェネレーションギャップ)という言葉があります。世代はおおよそ20年で変わります。生まれた子どもが大人になり結婚して次の世代を作るまでの期間がおおよそ20年。晩婚化などでこれからその期間は少しずつ長くなっていくかもしれませんが、基本的に文化や習慣は20年という世代ごとに少しずつ変化していきます。これは文化における伝言ゲームのようなもので、大人が子どもに見せた文化を子どもが大人になって再現します。しかし、そこに伝達の齟齬があった場合や、より効率的にアレンジした場合などに、少しずつ変化が起こるのです。そのため20年ごとに少しずつ文化は変化していき、本来のものとは異なるものになっていきます。

葬儀に関する文化についてもそのような変化が見られました。明治30年の段階での埋葬の方法は、大阪で90パーセント、東京で58パーセントでしたが、埼玉や千葉では5パーセント以下、宮崎、鹿児島、沖縄では1パーセントという数字でした。正確な数字は残っていませんが、東北もあまり変わらない数字を示しているはずです。その段階では葬儀などの文化はα波による影響が大きく、人口密度に比例して火葬のパーセンテージが高くなる傾向にありました。しかしそれから50年ほどのち、γ波が起こった昭和30年代から地方での火葬率はどんどん上昇していきます。ほぼ土葬のままだった東北地方も少しずつ火葬に変わっていったのです。

現代の文化の変化と社会的背景

それから二世代以上たった1990年ころには日本の火葬率はほぼ100に近い数字になっています。1990年ごろの社会に関するキーワードのひとつは、尊厳死や安楽死とです。戦後復興を遂げた日本は衛生環境の改善や医療技術の向上により、その寿命を世界でも有数の長さにしました。長寿は美徳であるという日本人の感性は、健康を大切にしてできるだけ長く生きようという目的を追求していったのです。しかし、その結果は社会にひとつの疑問を投げかけました。1989年の昭和天皇の崩御の際に話題になった尊厳死や1991年に東海大学病院での安楽死事件です。これらの出来事や事件は当時の医療の体制に対して疑問を投げかけるひとつの分岐点になりました。医療技術により延命をすることは可能になりました。しかし本人が意識がない状態や、苦しみが厳しく死を望んでいる状態でも生きているということに意味はあるのか、という疑問が生じたのです。人々は自分の臨終の姿などを想像し、長生きをするのだから歳をとっても健康でいたいという願望が強くなり、老後の生活に対する関心が高まりました。健康ブームが起こり刹那的であったバブルの頃よりも、のちの人生に対する関心が高まったのです。

1990年から1世代の時間を経て2010年頃には無縁社会という言葉がキーワードとなりました。2010年7月に東京都足立区で一部白骨化した男性の遺体が発見されたのです。かつての日本には地域の共同体感覚というものがありました。近所に誰が住んでいてどのようなことをしているのか、同じ地域に住んでいれば助け合うのが当たり前で近所のことはなんでも知っているというものでした。しかし人口が流動的になり、集合住宅が増えていくにつれて近所づきあいというものは減っていきました。隣にだれが住んでいるのか分からないことが当たり前という社会では、孤独死という言葉が一般的になり、だれもが老後の一人暮らしを恐れました。都市部ではそのような傾向は顕著になり、かつての日本の持っていた共同体感覚は「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」の中だけの風景になっていったのです。

葬儀に関する考え方もそうした社会情勢の中で変化していきました。

戦後の日本では組や講といった地域の共同体による葬儀が残っていました。しかし高度経済成長期を経て、少しずつその形態は変化していきます。かつて菩提寺と地域によって行なわれていた葬儀は、都市部を中心に建てられていった葬儀社によって行われるようになりました。江戸時代に端を発している菩提寺と檀家のシステムは崩壊し、葬儀をすべて司っていた寺院は、お経をあげて法要を行なうだけになっていったのです。α波として日本に存在していた伝統的な風習は少しずつ失われていき、γ波による画一的な葬儀の方法が全国的に広がっていきました。新しく起こった葬儀に対する考え方は、葬儀場での葬式と家族墓を使った埋葬という方法が都市部を中心に普及していきました。

一世代経った1990年ごろまではこうした葬儀の方法が一般的であり、葬儀の方法も仏教式で二日かけて行ない弔問客に参列してもらう一般葬の方法が定着していました。しかし、そこからさらに一世代経った2010年頃には無縁社会という言葉に代表されるように、葬儀を行ってくれる人がいなくなるということや、葬儀を行われる人間が高齢化して知人友人が他界してしまったため、弔問客が少なくなるという状況になりました。世代間の変化として一般葬という葬儀の形が少しずつ一般的ではなくなっていったのです。埋葬の方法としても、必ずしも家族墓に埋葬するという方法を望む人ばかりではなくなっていきました。散骨や樹木葬など遺骨を自然に還す方法などが見直されるようになりました。またその方法が一般的ではないためにあらかじめ子どもにそのような希望を伝える人が増加していったのです。このような世代間の考え方の変化は先に挙げたように文化の伝播、継承の方法としては当然のことであり、起こるべくして起こったことなのです。

経済的理由による葬儀の変化

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これからの葬儀や埋葬の方法を経済的な事情から考えてみましょう。葬儀や埋葬というのは経済的事情の影響を強く受けます。古代の権力者が大きな墳墓を作ったのに対して、一般民衆の墓は全くと言っていいほど作られませんでした。時代を経て近世になっても一般民衆の墓が作られることはなく、石塔などの墓石を使うことができたのは経済的に裕福な人間か身分の高い人間だけでした。

現在のように一般民衆に広く墓が作られるようになったのは、産業革命や市民権運動により民衆の立場が高くなったことや高度経済成長期に経済的ゆとりができたことが無関係とは言えません。しかし社会が成熟した日本では、ここから急速な経済発展は起こりえないでしょう。そのため葬儀や墓に対する一般化は止まり、少しずつ個別化の道を辿っているのです。そして葬儀も墓もその規模を縮小していくでしょう。

画一化から個別化へ

尊厳死や孤独死という考えやそれらに対するイメージから、人々は自分の遺骨に対する不安を感じ始めました。その不安は自分の遺体や遺骨がそのままにされ自然に帰らず放置されるかもしれない、という想像からです。

人間の埋葬に対する歴史は、大抵の場合腐敗に対する恐怖から起こっています。そのためこうした自分の遺体が腐敗していくことに対して根源的な恐怖を感じたのです。そのため一家の墓に埋葬されることよりも、自分の遺骨が自然に還ることを望む人が増えてきました。

葬儀についても個別化が進み、従来の画一した葬儀の方法よりも、故人が望む方法で行ないたいという声が少しずつ強くなってきました。

新しい埋葬法や葬儀方法は正しい? 正しくない?

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現在では一般葬が通常の葬儀の方法だとされていますが、正しい葬儀の方法はあるのでしょうか。正しい方法があるのならできるだけその方法で行ないたいと考えるのが人間です。実は現在行なっている葬儀の習慣はほとんどが江戸時代に作られたものです。家族墓を使って埋葬を行なう習慣に至っては江戸時代末から一般民衆に広まりました。それまでの埋葬法に関して正確な方法に関しての詳細は残っていませんが、都市部は一部火葬、地方では土葬でした。日本で一番正確な資料の残っている家、天皇家の記録によると、天皇家では江戸時代以前はおおよそ半々で火葬と土葬を行ない、江戸時代以降は火葬で埋葬しているそうです。このように古くから伝わる伝統的なやり方というのは多くの場合そこまで古くからのものではないものなのです。二世代で土葬から火葬に埋葬方法が変わったように文化というのはわずか40年ほどで大きく変化していきます。正しく画一的な葬儀の方法はなくその時代に合わせた方法があるだけなのです。

葬儀の六つの役割

もともと葬儀の目的とは六つの役割から起こったと言われています。

一つ目は社会的役割。その人物が死亡したことを所属する共同体の中で認知させるという役割です。現在では葬儀を行う以外に、社会制度上では死亡届を提出する、戸籍から除籍する、相続を行なうなどの手続きによって行ないます。また知人などに知らせる場合は死亡通知状などを使って知らせることも行なわれています。

二つ目の役割は物理的役割。遺体を処理することによって、疫病の蔓延や腐敗による周囲への悪影響を防止します。かつては住居から離れたところに土葬することによって、現在では火葬場で火葬することによってそれを行っています。

三つ目の役割は心理的役割。これは主に悲しみの感情を処理するために行ないます。遺族は家族の一員を亡くして悲嘆に暮れています。それを他の人間とともに葬儀を行うことで和らげるのです。また故人との思い出を思い出す機会でもあります。

四つ目の役割は文化的、宗教的役割です。宗教の起源のひとつとして死に対する恐怖や死後の世界についての解釈などがあります。多くの宗教では死んだ人間の霊や魂とよばれるものは現世を離れて、この世とは違う世界に行くと考えられています。そのため、故人をあの世に送る儀式としての葬儀の役割です。

五つ目は社会心理的役割です。宗教的役割とは逆に、人が死んだことによって現世に何か悪いことが起こるのではないか、故人の無念が何かを引き起こすのではないかなどと考えました。葬儀を行うことによって死者の霊を慰め、祟りなどがないようにするのが目的です。死者の霊が何か悪いことを引き起こすという考えは世界中にあり、慰霊の目的で作られた宗教施設は多くあります。

最後の役割は教育的役割です。葬儀を共同体の中で行うことによって子どもに対して死とはどんなものであるのかを見せ、それによって命に対する情操教育を行なうのです。これについては現在でも同様です。葬儀に参加することによって、人間はいつか死ぬものであり、生き物は死んだらもうもどらないということを実感として学びます。また、共同体の中に葬儀に関して引き継ぐべき伝統がある場合、子どもたちに実際の葬儀を目の当たりにしてもらって引き継いでいくのも教育的役割のひとつです。

現代の葬儀の役割とは

現在の葬儀は、主に遺体を衛生的に処理するという物理的役割、悲しみを和らげるという心理的役割、そして死を伝えるという教育的役割が主な目的です。かつての一般葬は弔問客に訪れてもらうことによって死者の霊を慰霊するのが大きな目的でした。大規模な葬儀を行うことは、故人がそれだけ偉大な人物であり、その弔問客の数は生前に行なった徳の高さを表現するものでした。そのため、バブル期までの日本では葬儀は大規模に行い、弔問客を多く呼んだのです。また、親戚や知人友人に対して誰が相続を行なうのかということを発表する場でもありました。

しかし、現在ではそのような役割は薄れていき、主な役割は心理的役割が中心になっていきました。遺族の悲しみを和らげ、その負担を減らすという意味で新しい葬儀の方法がとられるようになったのです。

新しい葬儀の形とその役割

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新しい葬儀の形として代表的なものは家族葬です。家族葬というのは、その名の通り家族のみで行なう葬儀です。場合によっては親族や親しかったごく一部の友人を含む場合もあります。一般的な弔問客がいないため、その対応に追われることなく故人を悼むということが遺族にはできます。社会的役割は昔に比べてメールやファックスなどで用意に行なえるようになったためと、地域関係の希薄化から周辺住民に知らせる必要がなくなったため重要さが薄れていきました。そのためこのような形式の葬儀の方法が普及してきています。経済的な面での負担も低くなる形式の葬儀であるため、故人自身が生前からこのような葬儀の方法を望むことが増えたのです。

また同じような経済面と家族の負担を軽減する葬儀の方法としては一日葬があります。一日葬は通常二日かけて行なう葬儀を一日で行います。葬儀の目的としては一般葬とは代わりません。全体の儀式のうち、一日目であるお通夜を省略する、もしくは二日目だけを行い葬儀と告別式とお通夜を同時に行なうことによって、弔問客に対する対応を減らすことができます。また費用面でも軽減することができます。また弔問客に対しても利点があります。儀式を行うのがどちらか一日だけになることによって、遠くから来た場合に宿泊する必要がなくなる点も利点です。参列者が高齢になっているため、一日しか葬儀を行わないことは体力的にも負担が少ないのです。また遠くからくる参列者が多い場合二日目しか行なわないことによって移動に掛かる時間を確保することができます。最近では火葬や拾骨を行なったあとに直近の法要である初七日の法要を行なうのが一般的です。時代の流れとしては、葬儀に対して掛かる時間を短くしていく傾向にあります。

また、極端に日程を省略したものとして直葬や密葬などがあります。これらはどちらもお通夜、葬儀、告別式などの儀式を省略し、死亡から24時間経ったあとで出棺、火葬、納骨のみ行う葬儀の形式です。もちろん弔問客はとりません。遺体を処理するという物理的役割だけに特化した葬儀方法です。直葬と密葬の違いは亡くなったことを明らかにするかどうかの違いです。省略したお通夜、葬儀、告別式の代わりに火葬場で読経のみ行なう場合もあります。また弔問をあとで受け入れるために、葬儀を行ったのちに期間を開けてあらためてお別れ会などの形で社会的役割を果たす場合もあります。

このように葬儀に求める役割は時代が進むにつれて少なくなっています。それに応じて葬儀の形式もどんどんと短く簡素になっていっています。先にも挙げたように葬儀というのは正しい形はないのです。今まで行なってきた方法から変化していくことに抵抗はあるかもしれませんが、そういった心理的な抵抗がなくなればどんどんと葬儀は簡素化していく流れになるでしょう。

新しい埋葬法

埋葬方法についてもどんどんと変化しています。もともと土葬を行なっている地域が多くあった日本ですが、明治時代以降都市部を中心に火葬の文化が広がっていきました。一時は国策として土葬を行なうよう法律が施行されましたが、法的制限力よりも文化的伝播のほうが力は強く、衛生面の理由などから土葬に関する法律は撤廃されました。十分な土地があった地方では土葬を行なう土地が確保されており、比較的遅い時期まで土葬の文化が行なわれていました。遺体を埋葬するのに問題がなく、また住宅地域から十分離れたところにその土地が確保できたため、土葬は物理的役割としてなんら問題がなかったのです。その後都市部から地方へと広がっていった火葬の文化は高度経済成長期に広く伝播していき、1990ごろまでには火葬の割合がほぼ100パーセントとなりました。腐敗や人骨などに対するイメージが現在の生活様式からかけ離れていたことと、火葬に対する浄化のイメージがその伝播の後押しをしたのでしょう。しかし、この火葬という埋葬方法が広がっていくと埋葬する墓地の問題なども広がっていきました。特に都市部では墓に遺骨を埋葬するのに大きな経済的負担を強いるようになってしまいました。また無縁社会や孤独死などという社会的問題もあり、埋葬に関しても新しい方法が望まれるようになりました。

樹木葬など、土葬のころのように遺骨を自然に還す方法が望まれるようになってきたのです。このようなことが起こったのは、墓を維持することに対する経済的負担を軽減する目的や遺骨が残ってしまうことによって処分に困るというケースが多く社会の中で発生してきたからです。そうしたことから、生前の段階で自分の遺骨の行方を考え、樹木葬という方法を望む人が増加してきたのでした。樹木葬や散骨という方法は、遺骨を自然に還すという目的と現在の墓石を使った埋葬法の折衷案として考えられた方法なのです。

そのほかの埋葬方法としては、散骨があります。海洋や河川、山林などに遺骨を散布するという方法です。法律上遺骨を地中に埋葬するのは許可を得た霊園か墓地でなければなりません。しかし、散骨という方法は遺骨を散布するので正確には埋葬という方法にはならないのです。この方法は実際の判例では、節度をもって葬送目的なら死体遺棄にはならない、とされました。散骨は少しずつ埋葬の方法として認知されていったのです。散骨は河川では一般的に禁止されており、また漁業権のある海洋では行なってはならないことになっています。しかし、詳細な法律が整えられていないことから散骨を請け負う業者の中には、地域の漁業組合が漁業権を持つ湾岸地域で密かに散骨を行なうなどの問題も生じています。こういった方法が埋葬法として一般に普及していくにつれて、今後散骨に対する法律も整えられていくことでしょう。このように遺骨を土に還す方法を永代供養と呼ぶこともあります。

また宇宙葬という方法もあります。これは遺骨をロケットで宇宙に打ち上げる方法です。文字通り死んでから星になるということを実践した方法です。費用は高いですが、埋葬の規定に宇宙に関するものはないため、問題なく行うことができます。

また土に還す方法ではありますが埋葬は行なわない、という方法もあります。土に分解されやすいバイオ骨壷を使う方法です。法律上問題があるのは、墓地や霊園として許可されていない地中に遺骨を埋めた場合です。この方法では地上に骨壷を置き、土との設置面から少しずつ骨壷が土に還っていきます。そのため埋葬していることにはならないのです。骨壷の底面が土に還ると、そこから少しずつ遺骨も地面に触れていき土に還っていくのです。時間としてはそのまま墓地に遺骨を埋めた場合と比較すると時間はかかりますが、比較的今までの方法に近い方法でかつ墓地を利用せずに遺骨を土に還せるのです。

またスウェーデンで開発されたフリーズドライによる埋葬の方法もあります。日本では実施されるのはまだ先のことになるかもしれませんがマイナス18度で冷却して遺体を揺することによって遺体を粉末に変えるという方法です。この方法で遺体を埋葬した場合、通常の火葬と比べてよりクリーンにそして安全に埋葬をすることができるのです。

これからの葬儀を作っていくわたしたちの選択

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このように、時代によって変わってきた葬儀と埋葬の方法は、現在新たな局面を迎えています。今までとても大きな儀式であった葬儀は少しずつ縮小化が進み、以前とはその姿を変えてきています。これは文化的な面からすると当たり前のことであり、あるべき姿に少しずつ変わっていくことでしょう。それは伝統が失われるといった後ろ向きなものではなく、今までの歴史の中でも起こってきた当たり前のことなのです。わたしたちはそうした変化を受け入れ、これからの一般的な葬儀と埋葬というものをつくっていかなければなりません。わたしたち一人ひとりの選択が次の時代の葬儀となり、時代によってそれがまた淘汰されていくのです。

葬儀はかつて忌むべきこととして、日常語られることはあまりありませんでした。そのため互助組織や宗教施設である寺院が、いざことが起こったときに葬儀を引きうけ行ってきました。しかし現在のわたしたちは葬儀というものを人々の生活の中で起こりうるひとつの出来事としてきちんと話し合っています。終活という言葉に代表されるように、葬儀は残された家族だけの問題ではなく、その葬儀を行われる本人をも含めた問題となったのです。しかし、いまだ葬儀についての知識をきちんと持っている人は少なく、それを行なうにあたって専門家の意見などが必要になることでしょう。

永代供養についての相談は

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光輪霊園は埼玉県東部の松伏町にある霊園です。通常の一家のお墓という埋葬方法のほか、合祀墓を利用した永代供養や納骨堂を利用した埋葬などさまざまな選択肢の中から埋葬方法をお選びいただくことができます。埼玉県東部で葬儀をお考えの方や埋葬方法に関する疑問などを持っている方はたくさんいらっしゃると思います。埼玉県東部地域の葬儀についてのご相談やお墓をお探しの際は光輪事業部にぜひご相談ください。