臨終から法要まで、葬儀の前後でしなければならないこと

葬儀の主役、誰から誰へ

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人が亡くなったあとには葬儀を行います。最近では葬儀の方法が多様化していき、さまざまな方法で葬儀を行っています。以前一般的に行なわれていた一般葬という形式は少しずつ変わっていき、弔問客を伴わない家族葬や、本来二日かけて行われていた葬儀を一日で行う一日葬、葬儀自体を行わず直接火葬を行う直葬など、その葬儀の方法は多様化していきました。葬儀の方法の多様化は葬儀そのものに対する関心の高まりから起こっています。しかしその後の法要などについてはいまだあまり理解されていないことが多いです。合理的で利便性の追究が今の時代のトレンドであり、個人の希望がかなえられる時代になりました。

かつては死んだ後の話をすることなど縁起が悪いと言って、死んだ後にどうしてほしいのかなど話す機会はほとんどありませんでした。また、家族がそんな悲しいことなど話をしたくないと言って意図的に話題にあげることを避けるきらいにありました。死後のことについて話すといっても、ごく一部、遺産のことなどについて遺言書を遺すくらいだったのです。しかしそれは飽くまで資産のことであり、本人の望む葬式についての話ではありませんでした。葬儀は世間に向けて行うものであり、その主役は喪主だったのです。いかに葬儀を滞りなく進め、世間に対して立派な葬儀を行うかを目的としていたのです。それは、葬儀の目的が故人の死を社会的に伝え、そしてその後継者について社会に知らしめることににあったからです。しかし現在では葬儀はそうした役割で行われることは少なくなってきました。本人が元気なうちに終活を行ったり、自分の死に対してエンディングノートを遺すようになりました。それは自分の死に対して責任を持ち、そして自分の供養に対する希望を述べるためです。かつての葬儀とは異なり、葬儀は故人が主役であると考えられる時代になったのです。

どこまでのことを決めておかなければならないか

なくなる前に全てのことを済ませておこうと思った場合、わたしたちは多くのことを決めておかねばなりません。終末のときにどこまで延命行為を行なうのか。葬儀はどのような形式で行なうのか。葬儀の規模や費用はどうするのか。死後の法要はどのように行なうのか。供養の方法はどのようにするのか。法要を行なうならばいつまで行なうのか。誰が後継者としてそれを行なうのか。その際に必要になる資金はどのようにするのか。それらのことを全て決めて初めて一人の人間の葬儀と法要についての決定がなされるのです。

また供養の仕方についても多くの選択肢があります。たとえば一般的な墓石を用いた供養を選択した場合、お墓参りはどうしてほしいのかということや、それをだれに管理してもらうのか、その費用をどのようにするのかなどについても決定しておかなければなりません。また、将来的に継承者がいなくなる場合などは、墓じまいについても決めておかなければならないことはたくさんあるでしょう。一般的な供養の方法ではなかった場合、その遺骨を永代供養するのかそれ以外の方法で供養するのかということを決めなければなりません。永代供養をする場合はどこに寺院や管理人に預けるのかということが問題になってきます。散骨などの方法をとる場合、信頼できる業者を探しどのように行なうのかなどという詳細な方法について決定しなければなりません。遺骨の管理という問題は現在の社会においてひとつの大きな問題になっています。供養難民や孤独社会などという言葉が叫ばれる現代、そうした面も含めて、遺骨に関しても決めておかなければならないことは山積みなのです。

亡くなる直前にしておかなければならないこと、それまでに決めておきたいこと

臨終の際に決めておかないといけないことは、どこまで延命をするのかということと、危篤状態になったときにどこまでの相手に伝えるのかということです。特に後者のどこまでの相手に危篤状態を伝えるのかということはあらかじめきちんと決めておくべきです。本人の交友関係や親戚関係などは本人にしか正確なものが分かりません。そのため危篤になってから調べていては各所への連絡が間に合わなくなる可能性があるからです。また、本人の意思ではなく、家族が決めたということになると後でトラブルを招く可能性があります。本人の死後に遺族や友人から、なぜ危篤になったことを知らせてくれなかったのか、と言われることや、死に目に会いたかったのに連絡をしてくれなかったから会うことができなかった、などと言われることがあります。しかし、生前にきちんと伝える範囲を本人に決めておいてもらうことによってこうしたトラブルを避けることができます。家族が危篤状態になればその分やらなければならないことも多くあるでしょう。そうした状況下で、きちんと連絡網などが用意されていれば、連絡先を探して慌てて連絡するという状況は避けられるでしょう。

葬儀に関する文化についてもそのような変化が見られました。明治30年の段階での埋葬の方法は、大阪で90パーセント、東京で58パーセントでしたが、埼玉や千葉では5パーセント以下、宮崎、鹿児島、沖縄では1パーセントという数字でした。正確な数字は残っていませんが、東北もあまり変わらない数字を示しているはずです。その段階では葬儀などの文化はα波による影響が大きく、人口密度に比例して火葬のパーセンテージが高くなる傾向にありました。しかしそれから50年ほどのち、γ波が起こった昭和30年代から地方での火葬率はどんどん上昇していきます。ほぼ土葬のままだった東北地方も少しずつ火葬に変わっていったのです。

また、この段階で葬儀社へ連絡をとり葬儀の準備をしなければなりません。この状況下での精神状況ややらなくてはならないことの多さを考えると、あらかじめ詳細な内容まできちんと決めておいたほうが良いでしょう。

あらかじめ決めておきたい葬儀の方式、そもそも一般的な葬儀とは

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決めておかなければならないことは葬儀の方式です。現在では葬儀はさまざまな方法があります。まず最も一般的な方法としては一般葬があります。一般葬の定義は、お通夜から火葬まで二日かけて行い、弔問客を伴う葬儀の方法です。

かつて葬儀というのは、親族やその地域全体で行なう一大儀式でした。葬儀や法要で集まることによって親戚はその血縁関係を実感し、そして故人のことに思いを馳せます。また地域の共同体は協力して葬儀を行うことによって、その集落内のシンパシーを発生させました。集落の中で決められたやり方で葬儀を取り仕切ることによって、その共同体の構成員は自身がそこに所属していることを再確認するのです。葬儀は血縁と地縁を再確認するためのひとつの大切な儀式でした。しかし高度経済成長期を経て葬儀の役割は少しずつ変わっていきました。産業構造の変化や交通機関の発達、情報媒体の進歩など、多くの要因から人口の流動が活発化していったのです。それまでの日本は土地を仲立ちにした第一次産業が主な産業でした。そのため多くの人々は自分の生まれた土地で育ち、働き、家庭を築き、そして死んでいきました。生まれた地域の共同体が社会そのものであり、葬儀はその社会の中でその人間の死を認識させるための方法だったのです。高度経済成長期に急激に人口の流動化が進み、まず都市部での葬儀に問題が発生しました。それまで各地域に詳細が決められていた葬儀の様式は個々人で行うには複雑すぎたのでした。都市部での葬儀はそれまでのように地域によって異なるものではなく、葬儀社によって行なわれるものになっていったのです。葬儀社によって行なわれた葬儀は、それまでの地方色が強いものではなく全国画一的なものになっていきました。その背景には、先に挙げた地方の特色を伝達できなかったことのほかに、分かり易い葬儀の方法が求められたことがありました。参列者側も故人の葬儀の方法が特殊なものであれば、葬儀でどうふるまってよいのか分からないからです。結果として葬儀はひとつの一般的な形式になっていきました。江戸以降の習慣として残された共通のものは、二日かけて、お通夜、葬儀、告別式、出棺、火葬、という手順で行うという流れと参列者が弔問するという形式でした。地域ごとにあった細かな風習はこのときに少しずつ割愛されていったのです。結果として現在の一般葬と呼ばれる葬儀は二日かけて行なう弔問客のいるものを指すようになりました。

増加しつつある現代の葬儀、家族葬

最近増加している形式の葬儀として家族葬があります。現在の葬儀は合理性や利便性が求められています。かつては社会的な役割の大きかった葬儀でしたが、画一化が進み儀式的なものが少なくなっていきました。葬儀のほとんどは葬儀社によって行われ、サービスのひとつになりました。経済的な活動として葬儀が見なされた以上、消費者はそこに対して合理性と利便性を求めたのです。果たして葬儀にいくらの金銭を使うべきなのか。現在当たり前だと思われている葬儀のシステムは正しいものなのか。葬儀が宗教的な色や儀式的な面を失っていくにつれて合理化は進み、葬儀をサービスとして認識し始めたため、消費者は自身が得られるサービスとその対価が見合っているのかということを考え始めました。葬儀は社会や共同体に対して行われるものではなく、金銭を支払う遺族に対して行なわれるものになりました。家族を亡くした遺族の精神的な負担を軽減するために葬儀は行われるようになったのです。従来の葬儀のように多くの親戚や友人知人などを招いたときには精神的にも肉体的にも大きな疲労が発生します。しかし、家族葬という新しい葬儀の形はそうした煩わしさを軽減し、純粋に故人を偲ぶことができるのです。もちろん社会的な役割が薄れたといっても、それが全く無くなったわけではありません。その人の社会的な地位や生前に行なってきたことに対して、一般葬の形を望まれることも多々あります。また、一般葬という形で葬儀を行わなければならないさまざまな社会的理由もあるでしょう。しかし一般的な遺族は家族葬を望む声が増えてきているのです。特に帰省が難しい地方都市などでは、友人や親戚の負担を軽減するため、あえて家族葬という形をとることによって、参列者に負担をかけないようにしている場合もあります。

スピード化の時代、葬儀の期間を短く

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一日葬も同様に負担を軽減するための合理的な判断のひとつと言えるでしょう。本来の葬儀というのは、一日目にお通夜を行い、二日目に葬儀や告別式、出棺や火葬を行うものでした。これにはさまざまな理由があります。まずお通夜の役割ですが、ひとつのお通夜の役割としてその人が本当に亡くなったのかどうか、ということを確認する意味合いがありました。現在でも日本で施行されている法律として「墓地、埋葬等に関する法律」というものがあります。この法律はその名の通り、墓地や埋葬についての法律です。この第三条に「埋葬又は火葬は、他の法律に別段の定があるものを除く外、死亡又は死産後24時間経過した後でなければ、これを行つてはならない。但し、妊娠七箇月に満たない死産のときは、この限りではない」と記されています。その意図に関しては、この法律の中には明記されていませんが、おそらくは死亡してからなんらかの原因で死んでいなかった場合に誤って埋葬してしまうことを避けるためにこのような条文が作られたのでしょう。お通夜の本来の方法は、遺族のみが集まり夜通し火を焚いて起きつづけ番をするというものでした。儀式的な意味としては遺体に悪霊が入り込まないためとされています。しかし、その裏側には「故人によみがえってほしい」という願いと「本当に亡くなっているのかどうか」ということを確認する意味合いがあったのでしょう。現在のお通夜は告別式のような役割を果たしています。日中に集まることの難しい人が多いため、夜に弔問するのです。しかし、お通夜から火葬まで全ての儀式に参加することを考えた場合、日程的な問題や体力面、金銭面での負担なども少なからずあります。合理的な発想をするならば、現在のお通夜は本来告別式が担っていた役割も含んでいます。そのため、そうした弔問客への負担を減らすため、お通夜か葬儀と告別式のどちらかを省略し一日で葬儀全体を済ませることのできる一日葬という形がとられるようになったのでしょう。

儀式をすべて省略した形、直葬

また、直葬という形がとられることもあります。直葬というのはお通夜や葬儀、告別式などの儀式的なものを全て省略し、単純に遺体を火葬する方式です。もちろん弔問客がくることはなく、家族を除けばごくごく親しい知人や親戚などがわずかに参列します。参列するといっても、行なわれるのは火葬のときの読経や拾骨だけです。この方法は葬儀を最も合理的に進める方法です。感情や儀式などを全て省略し遺体の処理という一点のみで葬儀を行っているからです。もともとこうした方法は以前から行なわれていました。しかし、それは自殺者や事故死者の葬儀であるため、他の人に葬儀を行っていること自体を知られたくない場合や、極端に経済的な余裕がない場合のみでした。しかし現在ではそうした方法も一般的に知られるようになっています。そして新しい考え方として、遺体の処理という点で先に直葬を行ったあとで、あらためてお別れ会や偲ぶ会などを開くという方法です。葬儀は基本的に日程があらためて分かるものではありません。そのため参列者に時間的な負担を強いてしまうことがあります。しかし先に葬儀は直葬で行っておき、その後に時間をおいてから改めてそうした会を開くことによって、遺族にも参列者にも時間的余裕をもって故人を偲ぶことができるのです。

このように現在では葬儀はその目的や遺族の置かれている状況によって、さまざまな方式を選択することができます。なによりも葬儀は亡くなった本人のために行うべき儀式です。本人が生前どのような方式を希望していたのかということは葬儀を行ううえで非常に大切なことなのです。

参列者を迎えるときに

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葬儀の方式が決まったら、次には葬儀の規模や参列者を決定しなければなりません。どこまでの人にきてもらうのかということは全て本人の希望するとおりにはならないかもしれません。結婚式などとは異なり、葬儀は出席確認ができないからです。そのため、規模を決めるというのは、どこまでの人に連絡を入れるのかということを意味しています。当然、家族葬や直葬などの弔問客を伴わない方式の葬儀の場合でも訃報の連絡は入れなければなりません。実際に家族葬や直送を行う際には、家族のみで葬儀を行うということをきちんと伝えるようにしましょう。

また、こうした連絡は危篤の際にも行なわなければなりません。危篤の際に連絡する基準は本人と親交の深かった友人知人そして三親等以内の親戚です。親等数の数え方は親子関係のみをかぞえます。本人の親や子は一親等です。兄弟の場合は、親の子どもにあたるので二親等になります。一親等は本人の親と子、二親等は祖父母と孫そして兄弟、三親等はひ孫と親の子どもの子どもである甥や姪、そして親の親の子どもであるおじやおばを指します。三親等以内の親せきに対してはきちんと連絡をするのが一般的です。そこまでの連絡は早急に行うようにしましょう。一般的に危篤の連絡は何時であってもきちんとすべきものだとされています。たとえ深夜や早朝であっても連絡は入れるようにしましょう。友人知人に関しては本人が生前希望していた方にきちんと連絡をするべきです。

葬儀の後に行う儀式、法要の持つ意味とは

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無事に葬儀が終わったあとでもやらなければならないことは多々あります。現在では火葬が終わったあとに続けて初七日を行うことが増えてきました。本来はこの初七日という法要はその名の通り葬儀が終わったあと七日目に行なわれる法要でした。しかし葬儀を行った一週間後に再び法要のために集まることは非常に難しいです。そのため現在では初七日の法要を葬儀のあとや還骨法要の際に同時に行うことが増えてきています。

そもそも葬儀が終わったあとに行なう、これらの法要とはどういうものなのでしょうか。初七日や四十九日、一周忌、三周忌、三十三回忌など、一人の人間に対して何度もそして長い年月にわたって法要は行なわれます。日本では死んだ後に人間の魂は肉体から離れると考えられてきました。仏教などをベースにした輪廻転生の考え方がそこにはあったのです。生き物は生まれてから肉体を成長させます。そして現世での生活を終えると、その肉体を捨てて魂だけの存在になるとかんがえられてきました。死後は次の転生を行なうまで魂を成長させ、そして別のものに生まれ変わると考えられていたのです。ここには日本人独特の宗教観があります。人間の場合死んでからその魂を成長させるために、遺族や子孫が三十三回忌まで仏壇や法要などで供養を行ないます。現世で赤ん坊をきちんと一人前の人間に育てるのと同じよう、魂を育て上げるために供養が必要であると考えられたのです。法要は七七日(四十九日)まで七日ごとに行なわれます。また亡くなってから百日目にも法要を行ないます。一年以内に行なわれる忌日法要は全部で八度行なわれるのです。この法要を行なう理由は、人間は死んでから七日ごとにあの世で閻魔様に審判を受けることになっているからだとされています。四十九日目にその審判の判決が下されます。そのため四十九日の法要は現在でも大切なものとされていて、その初七日から七日ごとに行います。八度ある法要のうち他のものは省略しても、初七日と四十九日だけは行うことが多いのです。また四十九日の法要はお墓に納骨を行なう還骨法要でもあります。葬儀のあとに自宅で祭壇を作り祀っていた遺骨を、お墓の中に納骨する儀式でもあるのです。

この法要や魂に関して、非常に面白い考え方があります。それはこの世とあの世は物事が反対であるという考え方です。何がどのように反対なのかということははっきりと定義付けられていません。しかし葬儀に残る風習の中にはそうした考え方から来たものが多くあります。

誰もが知っている死に装束がひとつの良い例です。これは亡くなった方に着せる服は生きているときとは襟を逆に合わせるという習慣です。こうした習慣があることは多くの人が知っています。しかし、これがあの世では物事が逆であるということから来ていることを知っている人は非常に少ないでしょう。また葬儀の際に茶碗など故人が使っていた日用品を壊す習慣もあります。これはこの世で壊したものはあの世で生まれるという思想から行なっていることなのです。故人があの世でも生活できるようにという思いと、故人の遺品を処分するという合理的な理由からこのような習慣は定着したのでしょう。

このように供養された故人の魂は忌日法要を経て、一年後に行う一周忌や三年目に行なう三回忌など命日に年忌法要を行ないます。これらの法要は三と七のつく年次であるものが多く、三回忌のあとには七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、三十三回忌とつづきます。中にはその後の五十回忌や百回忌を行なう場合もありますが、基本的には三十三回忌で弔い上げと言ってその後の法要を行なわないことがほとんどです。弔い上げはそれ以上仏として供養することは行なわないという儀式です。しかし、その後は祖霊になり神として子孫を守ってくれるというように考えられています。そのため三十三回忌をめどに、個人を祀る場所を仏壇から神棚に祀る場所を変えるのです。三十三回忌までは仏教式に供養を行なっていたのにそのあと神道式に故人を神として祀るというは日本独特の供養方法でしょう。現在ではこうした忌日法要や年忌法要は少しずつ省略されていき、行う場合でも初七日、四十九日、一周忌、三周忌、三十三回忌のみのことがほとんどです。

忌中と喪中の違い

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喪中などの考え方もこうした法要の日程を基準としています。神道的な考えでは死は穢れと考えられてきました。仏教の場合、宗派によって死に対する考えは異なります。死者を仏と考え尊いものだと考える宗派もあります。また神道と同じように穢れと考える宗派もあります。そのため近親者に死者が出た場合は忌中として極力人に会うことを避ける習慣がありました。現在ではそうした場合、会社や学校などで規定された忌引きの期間を持って通常の生活にもどることがほとんどです。二親等までの近親者が亡くなった場合に一周忌までを喪中として扱います。喪中は慶事や社会的行事などに参加することを避けることが多いです。さまざまな行事ごとなどが多い現代では、慶事に関しては主催者ではなければよいという考えが一般的になっています。ただし、結婚式などに参加する際には、一言喪中であるということを告げたほうが良いかもしれません。

お墓の竣工式、開眼供養

また四十九日や一周忌、三周忌は親戚が集まり易いため、開眼供養を行なうこともあります。開眼供養というのはお墓に魂を入れる儀式です。新しいお墓を購入してもそれはただの石にしか過ぎません。開眼供養もしくは入魂式、建碑式と呼ばれる儀式を行なってはじめてお墓として扱うのです。この儀式もその名称から分かるように、仏教的な儀式であるため、最近では行なわない人も増えています。先に挙げたように、納骨は一般的に四十九日の法要で行なうことが多いですが、特に日にちを規定されているわけではないのでお墓の都合などで一周忌などに開眼供養とともに納骨を行なうケースなどもあります。逆にお墓をもう使わないとして墓じまいをする儀式を閉眼供養と言います。

お墓参りのルールとは

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お墓参りについてはいつお参りをするのかということは特に規定されていません。お墓参りの目的は亡くなった人たちに対して挨拶や報告をし、そして墓石の掃除や線香や供物を捧げることによって先祖を供養することにあります。先祖に現状報告をしたりするため、入学、就職、結婚、出産など人生の節目にその報告に訪れることも多いでしょう。一時期墓所が大量に作られた時期にはお墓参りというイベントは家族のレクリエーションのひとつとして行われていました。夏休みやお彼岸などに家族全員で揃ってマイカーで先祖のお墓を詣でる、それが典型的な家族の行うひとつの青写真とされたのです。それは家族と言う共同体の絆を確認し家族という形を確認するひとつの儀式だったのです。現在ではお墓参りに行く人は少なくなっているかもしれません。しかし、祖霊信仰という形でお墓参りに行くという風習はこれからも日本からなくなることはないでしょう。

お墓参りに行く時期に、法要のように決められたタイミングはありません。一般的には春と秋のお彼岸やお盆、祥月命日や月命日、一周忌などにお参りをすることが多いでしょう。一般的なお墓参りの手順としては、お墓の掃除、お供え物をする、線香を焚く、合掌礼拝、後始末、という手順です。掃除は墓所の中のお墓の周囲のゴミや雑草を取り除きます。それから墓石にひしゃくで水をかけ、スポンジや雑巾などで墓石についた汚れを落とします。コケや鳥の糞などの汚れをしっかりと落としてから最後に水気を拭き取ります。お供え物は供花や果物、故人の生前好きだったものを供えます。供物は書道などで使う半紙を敷いた上に供えます。供物が終わったら、次は線香を焚きます。まずロウソクに火をつけ、それから線香に火を着けます。それから合掌して礼拝をします。礼拝をする順番は故人と縁の深かった人物から順番に行ないます。その際にまず、水桶からひしゃくで水をかけそれから墓石よりも頭が高くならないようにしゃがみ、手に数珠をかけて報告などを行ないます。現在ではさまざまな形状の墓石があるため、必ずしも墓石よりも頭が低くなることはないかもしれません。しかし、故人や先祖に敬意を持って礼拝を行なうようにします。最後に後片付けです。持ち込んだ供物や供花の始末、ロウソクや線香などの火が消えているかなどをきちんと確認して、帰るようにします。供物に関しては持って帰るように決められているところがほとんどでしょう。また、供花に関しても場所によってはもって帰らなければならないよう取り決められているところもあります。きちんと取り決めを確認し、他の参拝者や霊園に迷惑がかからないように参拝することが大切です。

現代の葬儀の変化

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現代の葬儀は多様化が進んでいます。時代は画一化から個別化へ変わっていき、多くの業者もそのサービスを消費者のニーズに合わせていかなければならないのです。決められた葬儀の形を単になぞって行うだけでなく、その葬儀に込められた意味とは何かを考え、そして本当に意味のある葬儀を行うこと。それが現代の葬儀業者に求められている命題なのではないでしょうか。

消費者の側も単純に費用や日程のみで葬儀を考えるのではなく、本人が故人になったときにどのような希望を持っているのかということをきちんと考えなければなりません。また葬儀の意味や目的というものをきちんと理解し、それによって故人と遺族がどのような満足を得られるのかということをきちんと吟味していかなければなりません。現代の葬儀は共同体や葬儀社によって行われるものではなく、本人と遺族によって行なう、大切な儀式のひとつなのです。

そうした本人や遺族が満足を得られるよう、わたしたち光輪霊園も日々尽力しております。光輪霊園は埼玉県松伏町にある霊園です。総数520区画あるお墓のほか、本堂、光輪法殿、光輪堂といった葬儀や法要などを行える施設も有しております。お寺の境内にはございますが、霊園であるため宗教宗旨宗派を問わずご利用いただくことが可能です。また通常の墓石を利用した供養方法のほかに、納骨堂を利用した永代供養や樹木葬形式での永代供養、永代供養の権利と墓石の引き取りを付帯した永代供養付墓地もございます。跡取りやお子様がいないかたでも安心してご利用いただくことができます。

埼玉県東部地域、越谷、春日部、吉川で霊園をお探しの際は光輪霊園にご相談ください。