変わりゆく現代社会とそれに対する供養の変化とは

日本人の人生の青写真とは

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国立社会保障・人口問題研究所の調べによると、2018年の35から39歳の男性が世帯主の世帯は30パーセントが単身世帯です。また女性の世帯主の場合でも25パーセント近くが単身世帯です。総務省の統計局が平成27年に行なった国勢調査によれば生涯未婚の男性の割合は1980年の2.6パーセントから急激に増加していき、2015年には23.3パーセントと5人に一人を超えるようになりました。また、女性の同数値も、1980年は4.5パーセントほどだったものが2015年には14.6パーセントとおおよそ3倍近くに増加しています。単身世帯の予想推移では2040年ごろにはほぼ40パーセントに到達するのではないかという予想がなされています。こうした単身世帯の数は都心部ほど多く、都会になればなるほど一人で生活している人が多くなっています。最近のものでは東京都の世帯の約6割が単身世帯であるという調査もあります。また離婚率についても同時期くらいから大幅に上昇しており、現在では結婚しても3組に1組は離婚しています。明治時代以降の日本では1980年代まで生涯未婚率が1パーセントから5パーセントで推移していました。社会的通念として、問題のある人間でなければ結婚するのは当たり前であり家庭を持っていることが幸せなのだ、という思考があったのです。

国民的マンガである、「サザエさん」や「ドラえもん」、「ちびまる子ちゃん」や「クレヨンしんちゃん」などを見ても、その作中に単身世帯の大人はほとんど登場しません。さまざまなメディアの中でも、ある程度の年齢になっても結婚できていない人は槍玉に挙げられる傾向にありました。結婚せずに会社の中にずっといる女性のことを「お局様」と揶揄するのもそのひとつでしょう。同じような表現としてある「行き遅れ」という言葉もその最たるものかもしれません。現在では未婚の人を「おひとり様」という表現をすることもあります。「おひとり様」という言葉についてはポジティブな意味で使われることもありますが、やはりその裏側には家庭を築いていないことに対する揶揄などが込められています。日本人の人生とは、学生生活を終えたら就職をし、ある程度の年月が経ったら結婚をして子をなす。その段階でマイホームを購入し、地域に根ざして生活をしていく。子どもが手を離れ、ある程度からだが動かなくなってきたら、こどもと同居をし、そして死んでいく、というのがステレオタイプの人生でした。こうした生き方ができないというのは、なんらか問題のある人間であり、非難される対象であるとされてきたのです。その背景として、日本はマイノリティに対する圧力が強く、そうした同調性によって自己のコミュニティーを強くする傾向があることがあります。今後、単身世帯の実感と数値が増加していき、それらがともに以前の一般的とされてきた家族を持つ世帯と同数になってくれば、日本人全体の感覚も変わっていき、社会そのものの構造も少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

単身世帯の増加を引き起こした経済的な社会の変化

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そうした単身世帯の増加の背景として、経済的な変化と技術的な変化があります。  経済的な変化は雇用機会の変化のことです。かつて女性は家庭を守るものであり、男性は外で働くものだ、という固定概念が日本社会には強くありました。明治時代以降、少しずつ職業女性としての地位は認められましたが、それらはあくまで女性用に限定された仕事のみに制限されていました。女性がやるべきであるとされている職業のみ女性によって行われ、それ以外の職業に関しては男性がするものだとされていたのです。すべての職業に関しての均等化が行なわれるようになったのは戦後のことであり、それが実際なされるまでには非常に長い時間がかかったのです。一般的に「男女雇用機会均等法」という名称で知られる「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」も、1972年に制定・施行されたときには「勤労婦人福祉法」という名称で女性にも労働をすることを「許可する」という旨で作られており、そもそも同等の権利を有しているという発想からつくられたものではありませんでした。のちに少しずつ女性の社会進出に対する考え方が見直され、1985年の改正により「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」と名称を変え、女性が社会で働くことを男性と同等に認めるという動きが進んだのです。当時世界的な女性差別撤廃の流れが進んでおり、そうした趣旨の条約に批准していた日本も女性の労働に関する法整備を進めました。その後、同法律と労働基準法の改正が1990年代に進んでいき、女性の社会進出は進んでいきました。セクハラなどの規定も作られていき、そうした理念が社会的に広がっていくと女性の経済的事情は大きく改善されていきました。それまでは、結婚して専業主婦になるという選択肢しかほぼなかったのに対して、現在では生活していくうえで経済的理由から結婚しなければならないということはなく、自活して生活していくことができるようになったのです。それによって女性の結婚というものに対する意識が変わっていったのです。自立はゆとりを生み、ゆとりは選択を生みました。2000年代以降におひとり様という言葉が生まれたように、無理にだれかと一緒にいるくらいなら、ひとりで何かをしたほうがよい、と考える人が多くなってきたのです。女性の経済的な面での自立は男性の意識の変化にも影響を及ぼしていきました。それまで社会的に当たり前だと考えられてきた結婚して一生ともに暮らすというスタイルは、女性の経済的状況の好転から、もはや「社会的に一般的な絶対の幸せ」の形ではなくなったのです。結婚はひとつの選択であり、必ず行わなければならないものではなくなってきています。

情報革命が人類にもたらしたもの

革命

もうひとつの変化を生み出した要因として技術的な変化があります。それまで日本におけるコミュニティーというのは、家庭、地域、そして職場、この三つが主たるものでした。世間体という同調圧力がそこにはあり、それぞれのコミュニティーの暗黙のルールに則した行動を取れない人間に対しては、目に見えない圧力がかけられました。ルールを順守しなければならないことに対する畏怖がコミュニティーとしての結束力を生み、またその組織の強さともなっていました。社会に出てから家庭を持ち、家を買い、そして地域社会に根付いていく。会社は終身雇用であり、そこが人生をかけて所属する場所であるためその利益に対して個人的な損得を度外視して貢献していく。「モウレツサラリーマン」「終身雇用」それがかつての日本の姿であり強さの源でもありました。しかし、2000年ごろを境にそうしたかつてのコミュニティーの垣根を越える技術的な変化が普及していきました。それは情報機器の急激な変進歩です。1990年代から普及し始めたインターネットや携帯電話の普及は旧来のコミュニケーションに大きな変化を与えたのです。インターネットはそれまでの家庭、地域、職場というコミュニティーだけでなく、新しいコミュニティーを人々に提供しました。別段特別な努力をしなくても、家庭や地域、会社とは関係のないコミュニティーを簡単に見つけ出すことができるようになったのです。その結果として、前述のみっつのコミュニティーに頼らなくても社会的つながりを保つことができました。家庭には離婚という離脱が、地域には引越しという離脱が、そして会社には退職や転職という離脱があります。しかし以前の日本人はそれらのみっつのコミュニティーしか持っていなかったため、そこからの離脱を行うことはありませんでした。しかし新たなコニュニティーを得たことによって、自分が好まないコミュニティーに対しては多くのリソースを割かず、別のコミュニティーに社会的つながりを求めるようになったのです。それぞれが自分の最も快適と感じるコミュニティーに時間を割き、また以前より多くのコミュニティーに時間を割り振るようになりました。孤独化が叫ばれる現代ですが、しっかりとしたコミュニケーション能力があれば新しいつながりを見つけ出すことのできるツールや場所は多々あります。ある意味で従来のコミュニケーションとは異なるものがそこにはあります。現在の社会を表現する言葉は孤独化ではなく、個人が自分の快適をそれぞれ求めていく個別化が進んでいるのです。インターネットが存在していなかったころのコミュニケーションでは起こり得なかった交流が現在では可能なのです。家庭、地域、職場という場所ではないところにコミュニケーションの場を設けることによって、現代人はストレスを解消したり新しいつながりを増やしていきました。会社の名前という看板で会話をするのではなく、自分という個人を重視した交流を作り出したのです。一度も顔をつき合わせたことのない相手であっても、心の支えになることはあります。またそうしたつながりが従来のコミュニティーである家庭や地域、職場というものに対してよい影響を及ぼすこともあります。情報の伝達速度の向上はその他の技術的な点での向上も生み出します。単身世帯の増加は単純に社会全体の孤独化を意味しているわけではなく、単身世帯であっても十分にコミュニティーを保ち生きていくことが可能な社会へと変化を意味しているのです。

もちろんこうした新しい形でのコミュニティーはまだ成熟しているとは言えません。直接的な交流や地盤となるつながりのないコミュニティーと言うのはある意味で軽薄なものであり、その裏側にリスクを孕むものであるということは否定できません。背景と言うもののない交流は責任や保証というものを持ちません。一対一の関係というのはある意味でとても薄いものであり、どちらかが遮断してしまおうと思えば簡単に終わってしまうものです。また、肩書きという信頼性を持たないため、相手に対する保証というものもないコミュニケーションでもあります。個人がそれぞれ高いネットリテラシーというものを持たなければそこには悪意のある他人によってなんらかの被害を受ける可能性すらあるのです。座間で起こった事件もそのひとつの痛ましい例ではあるでしょう。他人との関係性において、共通する肩書きがないということはそれだけお互いの行動が同じ方向を向いているとは限らないという意味でもあるでしょう。現代社会において自己防衛は万人に課された課題であり、人が社会というものに触れずに生きていくのが不可能である以上こうした能力を身に付けていくことは必要不可欠な課題でもあるのです。

家と寺を中心とした埋葬のシステム

善源治

こうした社会の変化から単身世帯の増加はこれから確実に進んでいくでしょう。そこにはもうひとつの問題があります。それは社会のシステムというのが、旧来の家族構成などに基づいてつくられているということです。現存する多くの社会的システムは明治時代以降に作れたものです。そうしたシステムというのは、家制度に基づいた発想によって作られています。そのため、単身世帯というもの自体がそうしたシステムに対応していということも多くあるのです。そのシステムのひとつとしてお墓というものがあります。現代の日本におけるお墓のシステムは江戸時代に作られたものを基にしていました。

 江戸時代に政治の主権を執った江戸幕府は、江戸時代の初期に起こったキリスト教徒によって起こった反乱への対策として、また旧来の国教である神道への政策として、宗教統制を行ないました。当時の日本には、主要な宗教として神道、仏教、キリスト教がありました。そのうちの前述のふたつではない仏教を利用することによって宗教に対する対策としたのです。国民一人一人の宗派を確認していくことによって宗教を限定し、思想的な統制を行なったのです。また宗門改帳と呼ばれる戸籍に登録されていなかった場合にさまざまな権利を認めないなどの方針を打ち出しました。寺社奉行をおき寺院諸法度を出す、それによって全国の寺社を統制することによって仏教を信仰させ宗教統制を行ったのです。もちろん単純に法律としてそれを出すだけでは統制はできません。実際にそうした施策を寺院に行わせなければならないのです。寺院にその統制を行なわせる見返りとして、私有地や墓地に対する特権を認めたのでした。先の宗門を改めることによって、民衆に必ずどこかの寺院と契約している状態を作らせます。そして葬儀や法要などの宗教的儀礼をそこで専属に行なわせるのです。そうすることによってそこで発生する寄進が寺社の収入となったのです。幕府には宗教統制できるという利点が、寺院には固定収入を得られるという利点があり、ともに利益を得られるためこの方針が続けられていきました。この政策は江戸時代の200年以上続けられ、民衆に定着していきました。こうして現在の葬儀は仏教式で行なうものであるというイメージが日本人の中に根付いていったのです。

一家の墓という制度の裏側にある信仰とは

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こうしてできた葬儀に関する風習は平穏な江戸時代に成熟していきました。戦乱が無い時代は富の蓄積を生み、そしてそれは文化を成熟させていきます。日本で現在にも残る多くの葬儀の慣習が作られたのは江戸時代のことなのです。北枕や死装束、逆さ屏風や棺回しなどの多くの慣習は江戸時代に作られたと言われています。またお墓は個人のものであるという考えから家のものであるという考えに少しずつ変化し始めたのも江戸時代のことでした。個人のお墓から一家のお墓に変化していったもともとの理由は仏教的な教えにあります。仏教の教えは宗派によってさまざまですが、その教えのひとつに女性は成仏できないというものがありました。そのため、女性が成仏するために夫婦の墓を作り、そこに夫とともに葬らなければならないとされていたのです。妻も成仏させるためという理由から、個人の墓は夫婦の墓へと変わっていきました。のちにこの夫婦の墓というものは古代から日本にあった祖霊信仰と結びつき一家の墓というものが作られるようになりました。亡くなった人は一旦お墓に埋葬をして仏として祀ります。そして一定期間が経ったのちその仏は神になります。仏壇で祀っていた故人は一定期間を経て神となり神棚で祀られたのです。それまで故人が成仏できるようにとお墓で行っていた供養は、現世での利益を得るために神棚に祈りをささげるものになっていったのです。仏は神となりその子孫を見守っていく。日本の墓の多くが、個人を対象にしたものではなく、一家を対象にしたものであるのはこうした信仰からなのです。

こうしてできた一家の墓というシステムは現代にも引き継がれています。こうしたシステムは国民皆既婚という状況であった頃には問題なく機能していました。実家の近くに一家のお墓があり、代々長兄がそれを引き継ぎ管理してく、それが当たり前のことでありお墓に対する正しい考え方だとされてきました。しかし、インフラの整備や移動技術の発展により人口の流動化が進んでいったことや経済的発展が子どもの減少を引き起こしたことにより、こうしたシステムを維持していくことは困難になっていったのです。お墓を作ってもそれを引き継いでくれる人がいなければそのお墓は荒廃してしまいます。また、見守るべき子孫がいなければそもそも引き継ぐべきお墓を作る意味もありません。ちょうど、単身世帯の増え始めた1980年代からお墓に対する考え方は少しずつ変わっていったのです。就職して、結婚して、子どもを作り、マイホームを買って、お墓を建てる。こうした典型的な日本人のライフスタイルというものが変化していったのです。

埋葬する方法の変化 その種類を分類する

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現在もお墓事情は少しずつ変化しています。一般的にイメージするお墓での供養以外に、合葬墓を用いた供養の方法なども一般的になってきました。家族墓が血縁関係のあるものだけが葬られるのに対して、合葬墓というのは個人や家族で葬られる墓ではなく地縁も血縁もない人間が合同で葬られるお墓のことです。伝統的なお墓での供養がその遺族や継承者によって供養されるのに対して、合葬墓の場合はその霊園管理者によって供養が行なわれます。

現在お墓を所有している人は全体の6割くらいです。こうした数字は都市部になればより低い数字になるでしょう。残りの4割の人たちはこれからお墓探しをしなければなりません。そうした場合にまず考えておかなければならないのは、そのお墓の管理を自分の死後どうするのかということです。最初に述べたように、生涯未婚率は1980年代から急速に上昇しています。未婚であるということは子どもや連れ合いがいないということです。たいていの場合、お墓の後継者は子どもや連れ合いがなることがほとんどです。そのため未婚であるということはお墓を作っても後継者がいないということになります。また、親から先祖からのお墓を継承してもそれを次につなぐことができません。そうした問題はこれから増加していくことでしょう。

しかし、供養の方法は伝統的なお墓を使った方法だけではありません。実は多くの霊園では、そうした供養の方法以外にも多くの供養の方法があります。先に挙げた合葬墓といった方法もそのひとつでしょう。霊園の利用案内などを見たときに表記されているものとして永代使用権の購入、永代供養権の購入、合葬墓の利用などさまざまな供養の方法があります。名称はさまざまですが、永代使用権の購入や墓地区画の利用などと表記されているものが伝統的なお墓を利用した供養の方法です。この方法はお墓を建てるための土地の使用権を購入する方法です。実はお墓を建てられる場所というのは法律で規定されています。たとえ自分の所有する土地であってもお墓を建てることは許可されていません。お墓に関する法的なルールは「墓地、埋葬に関する法律」という法律で規定されています。この法律では火葬した焼骨の埋葬に関するルールが規定されています。この法律では、都道府県の長に許可を得た財団法人や宗教法人が申請した土地にしか墓地を設置できないという風に定められています。そのため、自身が所有する土地であっても埋葬をすることは許されていないのです。そのため、墓所を作るためには、法人の作った霊園や寺院の所有する墓地、もしくは公営の霊園の土地を借りるしか方法がないのです。永代使用権の購入や墓地区画の利用とはこうした形で半永久的に霊園や墓地の土地を借りて墓所として使用することを指しています。利用するためには、初期段階での使用権の購入費用意外に、毎年の管理維持費用が必要となります。

永代供養とは伝統的な墓地の利用法とは異なり、自身のお墓を持たない方法であり、遺骨の管理を霊園管理者に任せることです。この方法の場合大きく分けると遺骨を分けたままにしておく方法と、すぐに合葬してしまう方法があります。前者の遺骨を分けたままにしておく方法とは遺骨を一旦納骨堂などで供養し、一定の年数が経ってから合葬します。後者のすぐに合葬する方法の場合、合葬碑などと呼ばれるモニュメントや樹木の下に地縁や血縁関係などに関わらず埋葬をすることです。こうした供養の方法の場合、その後改葬や分骨をすることはできないためあらかじめその後のことも含めて考えておく必要があります。

またそもそも墓地や霊園を使用しない方法もあります。そうした方法は散骨と呼ばれます。散骨とは、その名称の通り遺骨を撒くという供養方法です。とはいえ、どこにでも遺骨を撒いていいわけではありません。まず、事件性のあるものと勘違いされないように、遺骨のサイズを細かくする必要があります。具体的には一片が2センチ以下のサイズになるように粉砕しなければなりません。また陸地の場合は原則としてその土地の所有者がいるためその所有者に許可なく散骨することはできません。また、所有者が散骨を許可したとしても、周辺の住人などの心情などもあるため、住宅地の周辺などで散骨をすることは避けたほうが良いでしょう。海洋に散骨する場合でも、細心の注意が必要です。特に沿岸部の場合は周辺の漁業組合が漁業権を持っているため、その漁業に対する影響などが考えられるからです。また周辺で漁業を行なっていなかった場合でも、観光への影響などもあります。そのため沿岸部で散骨を行うことは避けたほうが良いでしょう。現在では多くの業者が船のチャーターなどを行い、散骨を行っているケースがほとんどです。現状では散骨に関する細かいルールなどは法律で定められていません。しかし、その周辺の人間がそこで散骨を行なわれた事実を認識した場合どのような感情になるのかということをきちんと考慮して供養する必要があります。

最後の供養の方法として手元供養や自宅供養と呼ばれる方法があります。これは遺骨をそのまま自宅に保存しておく方法です。実は遺骨の供養に関しては期限が設けられていません。そのため何か事情があって供養できない場合やどうしても手元に遺骨を置いておきたいケースなどそのまま手元供養をすることもあります。

供養を申し込む前に知っておきたい霊園の種類

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実際供養を霊園などに申し込む場合は、まず公営霊園に申し込むのか民営霊園に申し込むのかということを最初に考えなければなりません。そのためにはそれぞれの特徴を知らなければなりません。

公営霊園はその名の通り自治体などの公的な機関によって管理運営されている霊園です。公営であるため、比較的価格も抑えられています。永代使用権を購入した場合にかかる維持費も比較的低価格で抑えることができます。しかし、公営霊園を使用する場合にもいくつか難点があります。ひとつめはその使用の申し込みをする際のことです。公営霊園は基本的に一年に一度の抽選で当選しなければ利用することができません。そのため、申し込みをして当選するまでに長い時間がかかることもあるため、すぐに納骨を行なうことができないことがあります。ふたつめは、自治体ごとに霊園を使用できる条件がことなるため、その条件に当てはまらないとそもそも申し込みすらさせてもらえないこともあります。例えば、その自治体に3年以上住んでいなければならないという条件や既に遺骨になっている状態でなければ申し込みができないなどの条件もあります。後者の場合など、単身世帯で身寄りがない状況ではどうやってもその公営霊園を利用することができません。

一方で民営霊園の場合は費用が比較的公営霊園に比べて割高な傾向にあります。しかし、申し込みをすればすぐに利用が可能な点や霊園ごとにルールはあるものの公営のものと比較するとその制限は緩やかなものであり、よほどの特殊な事情でない限り利用できないということはないでしょう。また、供養の方法も多岐に渡ることが多く、駐車場やその他の設備の面でも公営霊園よりも優秀なことが多いです。

単身世帯で行える供養の方法を考える

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単身世帯で自身の供養を考えた場合、問題点は多く出てきます。自分の死後そのお墓を誰に管理してもらうのかという問題や、そもそも申し込むことができるかどうかなどの問題です。単身世帯で生活している以上、自身が死んだときに発見されるのか、きちんと死んだ後の手続きはしてもらえるのかなどの不安は尽きません。また、霊園の申し込みをしても使用開始の期限などがあるため、あまりに早く申し込みをしてしまい実際自分が死亡したときにはお墓が利用できないという状況もありえます。人生設計として、自分の死んだ後のことまでしっかりと考えている人は少ないでしょう。進学、就職、結婚などの人生のイベントはそのタイミングが決められていたり自分の選択で決めることができるのに対して、葬儀の場合は自身でそのタイミングを決めることができないからです。その点が計画を立てるときに他のイベントとは異なり、供養というものを考えたときにそれを難しくしている要因でしょう。信頼できる人間に自分の死後のことを託す、それは単身世帯の増えた現代に多くの人が考えなければならない命題ではないでしょうか。

供養に対する悩みのご相談

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光輪霊園は埼玉県東部地域にある松伏町にある霊園です。宗教法人善源寺によって直接運営され昭和51年の開山以来多くの人を弔ってきました。もともと寺院にあるお墓は墓地と呼ばれていました。墓地は檀家のみが利用できるものでした。しかし現在の名称が霊園となっており、お申込みいただければどなたでも宗旨宗派を問わずに利用できるものとなっています。

伝統的なお墓を用いた供養のほかに、合葬碑や樹木を用いた永代供養、納骨堂を利用して供養したのち永代供養に移す方法や伝統的なお墓での埋葬をしたのちに合葬碑で改めて永代供養をしなおす方法もご用意しております。

供養の方法が大きく変化している現在、家族がいる人も単身で生活している人もお墓ということについて不安や疑問などを多く持たれている方がほとんどだと思います。そうした不安を解決するためにも、東埼玉で供養のことについてお悩みのさいは光輪霊園までご連絡ください。