家と伝統とお墓

多いですか、少ないですか 終活を行う人の割合

読経

近年亡くなった人の中で、終活を行なっていた人の割合はおおよそ4割だそうです。自分の死と言うものに対する意識が現代では高まっています。従来のように画一化された方法で葬儀や供養が行われることは減っていき、現在では自身の死後について真剣に考えなければならなくなってきています。その背景には一体どのような原因があり、これからどのように考えていくべきなのでしょうか。

東アジアに家制度をもたらした儒教とは

最も大きな原因としては、家族構成の変化があるでしょう。かつての日本は家というものが非常に強い力をもっていました。その理由として最も大きなものは儒教という思想です。古代中国の孔子によって開かれ、そしてその弟子たちによって広められたこの思想は、東アジアに大きな影響を与え、その思想は現代のわたしたちの生活の中に息づいています。

孔子の思想というのは戦乱の世の中であった紀元前6世紀の春秋時代に起こりました。その思想というのは世の統治というものは武力や暴力による覇道によって行なわれるものではなく、人徳による王道で行なわれるべきではないかという思想です。その思想のベースは「仁・義・礼・智・信」という五つの思想を基にしています。他人を思いやり、世のため人のために行動をし、謙虚で奢らず、知性と知恵を持って物事を判断し、人を信じて人に信じられる人間であれ、というのがその思想です。またこの思想には年長者を敬う思想や長子が家を継ぐべきであるなどの家に関する取り決めも説かれています。

儒教の日本における歴史としては仏教よりも古く、儒学から派生した朱子学や陽明学などは国学として多くの研究者に研究されました。そのため日本人の根底にはこうした儒教による思想があったのです。一家を大切にするという発想は歴史の中で既に武家の社会の中でも見ることができます。日本における戦乱の歴史の中で、同じ家の者が両軍に分かれて争っていた理由のひとつと、してどちらがその戦争に勝ったとしてもその家自体が政治の表舞台から消えることはないという発想があったのかもしれません。応仁の乱など、多くの家が両軍に分かれて戦争しているのは、どちらの勢力が勝ったとしてもその次の政権において自身の家を継続していけるという発想があったからでしょう。

日本の歴史に見る家の意味とは

革命

また家自身に格差や正当性などの意味合いが込められていることもあります。例えば武家が政権をとる場合にその正当性を主張するために家というものが題目として使われていたこともあります。武家が政権を執るにあたってその政治の権利が正しく武家にあることを主張するために、平氏と源氏という家名が利用されました。平氏と源氏はもともと桓武平氏、清和源氏と並び称されたように天皇家からの分家であり、そのため日本の統治者である血筋だという思想でした。

破天荒な人間のイメージがあり、それまでの既成概念をくつがえしてきたイメージのある戦国の雄、織田信長も実は早い段階から全国を統治したときのことを考えて平信長と名乗っていたという説もあります。その理由に関しては、政治の手法などのヒントを平清盛から得ていたため、清盛を尊敬していたためという説もありますが、実際に送った手紙などにまで名乗っていたことを考えると何かしらの政治的な意図があったのでしょう。海外の国を見渡してみても、日本のように同一王朝における政治の様式がこれほど長く続いている国はとても珍しいでしょう。その根底には家に対する信仰や思想が儒教の伝来から面々と受け継がれているからでしょう。

また日本語の「国家」という言葉もこの思想に対する考え方の表れでしょう。ひとつの家である日本という国を、その構成員である国民が支えていくという発想は明治時代に興ったものでした。民はそれぞれの家を支え発展させていく。そしてそれぞれの家は国家というより大きな家を支えていく。こうした政治的な思想が日本の中にはあったのです。こうした思想の強まりから、日本における祖霊信仰も強まっていきました。家のために、お国のために、と言う思想がそこにはあり、人々は家のためにそして国家のために努力をしていくのだという方針があったのです。これによって影響を受けたのが家族墓というお墓の形式でした。

個人墓、夫婦墓、家族墓

善源治

家族墓というものは江戸時代以降に少しずつ起こり、明治期や戦後に急激に増えていったものです。そのお墓の形式というのは、一家の人間の遺骨を同一のお墓で埋葬するというものです。日本では一般的なこうした形式のお墓ですが、世界的にはそう多い形式ではありません。もちろん儒教の影響を受けた東アジアの地域ではこうした形式のお墓がよく見られます。しかし欧米などではお墓は個人のものであり家族と言えど同じお墓に埋葬することはないのです。そもそも直接地中に埋葬したのちその上に墓標を配置する形式が一般的であるため、そのお墓を掘り起こしてそこに新たな遺体を埋葬するというのは非常に難しいことでもあるのでしょう。

日本でこうした家族墓が一般的になっていった背景はなんでしょうか。ひとつには仏教的な思想があり、ひとつには儒教的な思想があります。仏教では女性は成仏できないという思想がありました。その教えの中に常に血を流して辺りを穢しているため、死したあとも血の池地獄に落ちるという信仰があったのです。もちろんこれはすべての宗派でそのような教えがあったわけではありません。そして現代から考えるのであればこれは非常に女性蔑視の思想です。しかし当時の文化としてそうしたものがあったため、女性が成仏するためには結婚した相手と同じ墓に入り供養されなければならないという思想があったのです。こうしたことから江戸期には個人の墓ではなく夫婦の墓が作られていきました。個人墓ではなく、こうした複数人の遺骨を弔う方法が少しずつ普及していき、それが旧来からあった家に対する思想と結びついていき結果として家族墓が普及していったのです。

国家という言葉の裏側にある家信仰

またそうした思想が明治に強くなっていったことには理由があります。それは先にも挙げた国家という思想です。明治政府は諸外国に対抗すべく、国民を兵隊として利用することを考えました。江戸よりも前の時代の戦争というものは、現在の日本という国の中で行なわれたものがほとんどでした。現在の国という範囲よりも小さな範囲で行なわれる戦争の主力はその領地における農民が徴兵され戦争に駆り出されていました。そのため自身の土地を守るためという動機付けがそこにはあったのです。またどちらの軍も農民を主力とした軍であったため、農業の繁忙期には戦争は行なわれないなどの不文律がありました。しかし、近代化が進んでいく中で海外というものと戦争を進めていくときに、自身の土地を守るためという動機付けはあまりに意識として希薄なものになります。そのため、明治政府が取った方法が先にも挙げた国家思想だったのです。それまで姓を名乗ることを許していなかった一般庶民にも姓を持たせました。この政策の目的はふたつあります。ひとつは兵隊として軍を構成する際に、名前だけしかなかった場合に個人の識別が難しいということ。もうひとつは、姓を持たせて家というものに対する信仰を強く持たせることによって国家に対する忠誠心というものを持たせることでした。この国家に対する忠誠心というものはその後第二次世界大戦に至るまでの国粋的な思想に繋がっていきます。そういう意味では明治政府の意図した国家に対する信仰というのは成功したと言えるでしょう。

第二次世界大戦が終わり、国家に対する信仰は薄れていきました。しかし家に対する信仰はそのまま残っていました。農地改革などでそれまで行なわれてきた小作農業のような形態がなくなっていったことや、産業が農業から製造業に大きく移り変わっていったことにより、人口の流動がそれまでになく活発になっていきました。その結果従来住んでいた土地を離れる人間も多くなっていきました。人口の流動は、それまで確保されていた埋葬スペースを変更することをも意味します。そのため、一気に人口が集中した都市部において霊園が不足するという事態になったのです。

ダイヤモンドカッターを利用することによって加工技術が向上し新たな墓を作るのが容易になったことやマイカーによって家族単位での移動が簡単になったことから、都市部に住む多くの人がふるさとで見た家族のお墓を都心から少し離れた郊外の地域に買い求めたのです。このように日本に旧来ある儒教や家に対する信仰と、経済的もしくは社会的な要因があいまって戦後多くのお墓が作られたのです。

産業構造の変化によって変わりゆく街並みとは

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しかし、高度経済成長期の産物は現在の社会で多くの影をも産み落としました。例えば現代の買い物難民などもその一例です。高度経済成長期に大規模な工業団地として開発された地域やベッドタウンとして開発された地域があります。こうした地域は当時その景気の良さや人口の多さなどから、活気にあふれ多くの商店などがそこにあり企業城下町などになっていました。しかし産業構造の変化や景気の悪化などにより、急激に雇用が低下したり大規模な工場の閉鎖などが起こりました。その結果として人口が急激に低下したため、その地域の商店が潰れていき買い物をする場所がなくなるというような事態が各地で起こっているのです。自動車がなければ買い物もできず、病院にも行けない。集合住宅は住民が少ないため建て直しをする予算がなく、老朽化が進んでいき更にゴーストタウン化が進んでいく、そのような風景が日本のあちこちにあるのです。

これはお墓に関しても同様な現象が起こっています。過疎の進む地域ではお墓のゴーストタウン化とも言える無縁仏の増加が起こっています。たとえば熊本県では、お墓の約三割が無縁化していっているのです。三割ものお墓が誰にも手入れされず放置されるということになれば当然その霊園自体が少しずつ荒廃していきます。そのような荒れ果てた霊園に新しくお墓を設けようとする人は少ないでしょう。またそうした近づきがたい霊園になっていけばお墓参りに来る人はどんどん減っていくでしょう。日本の各地にあった企業団地がそうであるように、日本各地にある霊園でも同様ゴーストタウン化が進んでいるのにはそうした背景があるのです。

お墓の問題は一言で言えば、都市部では霊園の土地が不足し、地方では過疎化による荒廃が進んでいることです。現在では多くの場所で墓じまいが行われています。これは今まで使ってきたお墓を撤去することです。お墓を撤去しなければならない理由は様々です。経済的な理由からお墓の管理維持費が払えなくなるという理由。距離的な問題からお墓に行くことができないため、そのお墓を荒れさせてしまうという理由。自分に子どもがいないためそれ以降の世代にお墓を引き継ぐことができなくなってしまったという理由。かつての日本を支えた家という信仰は少しずつ薄れていき、核家族化や単身世帯化が進んでいくにつれて、旧来のお墓のシステムは立ち行かなくなりつつあるのです。かつては三世代が同じ家に住み、親の介護が必要になればそれを子どもが面倒を見るのが当たり前でした。両親が働きに出ているため子どもの面倒を見る人がいなければ同居する祖父母が面倒をみるのが当たり前でした。しかし日本にあった典型的な家族の風景は失われていき、現在では多くの人がより小さな家族で生活をしているのです。

きちんと終活したはずなのに 供養されない理由とは

最初に挙げたように4割ほどの人が終活を行なっています。しかしその中にはきちんと終活を行なったにも関わらず、その予定通りに供養されていない人も多くいます。終活をしたにもかかわらず供養されないとは、一体どうしてそのようなことが起こりえるのでしょうか。

終活というのは自分の死後の準備を生前にしていくということです。そのためには決めなければならないことがたくさんあります。

まず決めなければならないことは、どのように葬儀を行うのか、どのように供養を行なうのか、そして自身の遺していったものをどうするのかということです。

決めておきたい葬儀の方法 その種類とは

葬儀に関しては様々な方法があります。まず決めなければならないことはその方法です。葬儀には色々な種類があります。その種類によって葬儀の呼び名が異なってきます。

まず問題になってくるのは葬儀そのものを行なうかどうかです。最近では葬儀を行わず、火葬のみを行う直葬という方法があります。この方法は密葬とも呼ばれ、以前はあまり行なわれない方法でした。直葬は何か葬儀を行えない特別な理由のある人、もしくは葬儀を行えない経済的な理由がある場合、もしくは無縁仏であるため葬儀を取り仕切ってくれる人がいない場合にのみ行なわれる方法でした。しかし現在では、葬儀に多額の費用をかけることを本人が避けたいと希望した場合や、特定の宗教がないため火葬のみを行いたい場合などにも行なわれるようになってきました。火葬を行うためには、医師による死亡の診断が行なわれてから24時間以上経過している必要性があります。そのため、死亡してから病院から遺体を搬出して火葬を行うまでに自宅などで一旦遺体を待機させなければなりません。最近では集合住宅で遺体を自宅に持ち込むことを避けたがる人もいます。そうした場合、遺体を一時的に保管してくれる遺体ホテルなどもあります。

次に決めるべき内容は、弔問客の参列の有無です。一般的にお葬式やお通夜というものは弔問客のあるものです。弔問客なしで行い家族のみで行なう葬儀のことを家族葬と言います。弔問客が参列をする場合、喪主や遺族はその対応に追われることになります。そのため最も悲しみに暮れていて、別れを偲びたいであろう遺族がその時間を割くことができないという難点があります。また弔問客はその数が読めないという問題もあります。結婚式の場合あらかじめ準備をしておき招待状に参加の是非を返信してもらうことができるため、きちんとした準備をすることができます。しかし、葬儀の場合は突然訪れる出来事であるためそうした準備を行なうことができません。返礼品の準備や宿泊施設の確保など人数が分からなければ決めることが難しいことも多く、足りなくては困るため非常に無駄が起こりやすいのです。また亡くなった本人が弔問客の参列を望まないケースもあります。多くの人に訪れてもらうのは嬉しいのですが、それによって御足労願うことを考えると家族のみで行なってもらいたいという気持ちもあるのでしょう。そのような要因から現在では少しずつ家族葬の割合が増えているのです。

もうひとつの葬儀の形式は、生前に決めておくほどのことではありませんが、日程のことです。現在の葬儀は二日以上かけて行います。亡くなった日に行なう仮通夜、翌日に行なう本通夜、そしてその翌日に行なう葬式と告別式、火葬と拾骨があります。最近ではこれらの日程を縮めて、亡くなった日に本通夜をそしてその翌日に葬式と告別式、火葬と拾骨を行なう形式で行うこともあります。こうした葬儀のことを一日で行う葬儀であるため、一日葬と言います。一日葬の場合、弔問客を伴う場合とそうでない場合があります。しかしどちらの場合も一般葬と比較すれば遥かに費用を抑えることができるのです。また日程が短くなることによって身体的な負担も軽減することができます。

このように現在では様々な葬儀の形式があります。最近ではこうした仏教式の葬儀のほかにも、神道式やキリスト教式、また無宗教式の様々な葬儀もあります。家のリビングのようなところでお別れ会を開く形式や立食パーティのような形式で偲ぶ会を開く場合などもあります。

こうした葬儀の形式に関しては終活できちんと話し合っておかなければなりません。本人の意思であることがはっきりせずに直葬や家族葬などを行った場合に、葬儀のあとで親族の間で揉めごとになるケースなどもしばしばあります。そうした状況を避けるためにも葬儀の形式に関してきちんと本人の意思表示をしておくことが大切です。

遺骨の行方を決める供養の方法

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次にきちんと決めておかなければならないことは供養の方法です。ここで言う供養の方法とは遺骨の処分の方法を指します。遺骨の処分の方法については大きく分けるとお墓に納骨する方法とそうでない方法があります。

まずお墓に納骨する方法としては、自身の所有するお墓を利用する方法とそうでない方法があります。自身の所有するお墓を利用する方法とは、寺院墓地や民営霊園、公営霊園などでお墓の永代使用権を購入し、そこに自身のお墓を所持する方法です。墓地や霊園に利用する土地に関しては、法律や条令でさまざまな規定があります。そのため、都道府県長に許可された場所でなければ自分の所有する土地であっても地中に遺骨を埋葬することができません。そのため、その許可を寺院墓地や民間霊園を利用する場合は、その代金を支払えば使用権をすぐに購入できるため、墓石の準備さえできればすぐにお墓として利用することができます。比較的価格の安い公営霊園の購入ですが。公営霊園の場合は申し込みをするのにさまざまな条件があることがほとんどです。その自治体に三年以上住んでいることやすでに遺骨が手元に存在していること、生きている場合は65歳を過ぎていなければならないことなど、自治体によって条件は様々ですが何かしらの条件が設定されていることがほとんどです。さらに年に一度の抽選でその使用権の販売が行われることや自治体によっては倍率が高く何度申し込んでも当選しないという問題もあります。そのため公営霊園での永代使用権の購入を試みる際は購入しようと決意してから実際に購入できるようになるまでに時間が掛かることがあるのです。

また墓石の作成に数ヶ月かかることもあるため、永代使用権を購入してお墓を建てる場合には比較的早くから計画を立てる必要性があります。またお墓を利用し続ける限り維持管理費が必要になります。そのため費用的にも十分な余裕を持っておかなければなりません。

またこうした通常の供養を選択した場合には、いつか来る墓じまいのことも考えておかなければなりません。お墓の後継者である墓守がいなくなれば当然その墓は荒廃してしまいます。公営霊園でもそうした無縁仏が増えています。こうした無縁仏に関しては霊園管理者が処分するしかなく、多くの霊園でそうした放置されたお墓が問題になっています。

納骨は行ないますが、自身のお墓を所有しないで行なう方法もあります。それは永代供養と呼ばれる方法です。永代供養というのは永代使用権の購入を購入するのとは異なり、永久に供養してもらうサービスを購入することになります。一言で言うのであれば、遺骨の管理をその業者もしくは地方自治体に任せるということです。こうした場合維持管理費はかからず、最初にその遺骨を業者に引き渡してしまえば以後のことはすべてその霊園管理者がやってくれるのです。その形式としては合同墓と呼ばれるお墓に埋葬する方法や、納骨堂にある程度の年月供養してもらった後で遺骨を処分してもらう方法などがあります。永代供養の特徴としては、最初にどのような供養の方法をとるのかは様々ですが、最終的に遺骨を土に還すことにあります。

合同墓というのは合葬墓とも呼ばれ、従来の供養の方法のように個人のお墓や家族のお墓のように個別に埋葬するのではなく、地縁や血縁に関係のない人間をひとつのお墓に埋葬するお墓のことです。こうした形式の場合、個人のお墓のように参る対象がはっきりしないことや、管理が完全に霊園の管理者になってしまうため、その後に何か供養方法に関しての変更点があったとしても何も行なえないという点があります。そのため、こうした供養の方法を選択する際にはあらかじめ親戚などの間にきちんと了承を得てもらうことが大切です。

納骨堂などを利用する方法は近年少しずつ増加してきています。通常想像する納骨堂と言うものは建物の中に骨壷がずらりと並んでいるものだと思います。しかし最近ではマンション型と呼ばれる納骨堂もできています。この種類の納骨堂は数字などをパネルに打ち込むとその遺骨が自動的に運ばれてくる仕組みです。スペースを省けることなどもあり、少しずつ都心部の比較的立地の良いところなどでこうした形式の納骨堂なども作られています。また、納骨堂を使った形式の場合、永代供養ではなく通常のお墓のように納骨堂の永代使用権を購入している場合もあるため、通常の供養の場合のように管理維持費などが必要になる場合もあります。

また最近では樹木葬の形式をとる場合もあります。樹木葬という言葉の定義は、墓石を使わずにその代わりとして樹木を墓標として使うことにあります。この形式の場合も永代供養の形式をとられることが多いです。というのは遺骨を直接地中に埋葬するため、その遺骨を改葬することができないからです。

こうした納骨堂や樹木葬の場合、いつまで霊園管理者がその遺骨を管理し続け、いつになったらその遺骨を処分するのかということが明記されていることがほとんどです。

お墓を利用しない供養とは

お墓を利用しない方法としては2000年ごろから行われるようになった散骨があります。実は遺骨の埋葬に関しては地中に埋葬する場合は都道府県の長の許可を受けなければなりません。しかし地中に埋葬しないことに関しては特に明記されていないのです。もちろん周辺に住む人に迷惑を掛ける方法などの場合は問題視されることになります。また、正当な火葬などの方法をとった場合でも遺骨を放置した場合は死体遺棄などに問われる場合があります。しかし、警察が事件性のあるものだと勘違いしないよう遺骨を2ミリ以下のサイズにして土地所有者の許可を得て、かつ周辺住民に迷惑をかけない場合に関しては、散骨は黙認されています。また海洋などの場合は禁止されていない場所で周辺の漁業権を持つ漁業組合に迷惑をかけないのであれば黙認されています。現在ではこうした形式で供養する人も少しずつ増えてきています。お墓を作らないため後継者に迷惑をかけないことや自分の遺骨を自然に還したいと考える人が増えているからでしょう。

散骨の場合も永代供養と同じようにその後改葬ができないことやお参りをする対象を失うという問題点があります。そのため、実施する前に親戚などときちんと話し合っておく必要があります。

実は一番大事な
だれに供養をしてもらうのかという問題

こうした葬儀の方法や供養の方法に関してはきちんと生前に取り決める人が多いのですが、その終活で取り決めた内容を実施する人をきちんと決めていないことが多くあるのです。終活をしていくうえで自分が描いた自分の死後のイメージはきちんとしていても、それをきちんと遺族に伝えられていないケースが多々あるのです。

また本人がきちんと業者にも支払いを済ませて後は実施されるのみという状況になっていたとしても、急死してしまった場合や認知症のため自身の行なっていた終活に関して子どもに引き継げなかったケース、またそもそも子どもがいないためきちんと終活を行なっていたとしてもその計画を実施する人がいないなどのケースが増えているのです。

死んでしまったあとのことはどれほど本人がしっかりしていたとしても本人には何も実行することができません。またお墓に関してもこうしたことは同様で、自分の次の世代がきちんとお墓を受け継いでくれたとしてもその先の世代がそのお墓をどう扱うのか、またそもそもその先の世代がそのお墓の存在をきちんと知っていてくれるのかということについては何の保証もありません。かつて家という制度が支えてきた日本の葬儀や埋葬に関するシステムは、その家族のあり方が変化しつつある現代では少しずつ変えていかなければならないのかもしれません。そのためには、死後のことに関して話すことをタブー視するわたしたちの意識を少しずつ変えていき開かれた葬儀や開かれた供養というものを考えていくべきではないでしょうか。

お墓という伝統

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わたしたちのお墓に対する信仰は遠い昔から面々と受け継がれてきたわたしたちの先祖から伝わる大切な習慣であり、これからも残していくべき伝統でしょう。しかしそれらが社会問題として現代社会で取り上げられている以上それに対するなんらかの対策は必要なのではないでしょうか。

光輪霊園は埼玉県東部地域にある松伏町にある霊園です。本霊園では伝統的な墓石を使った供養のほか、合同墓を使った永代供養や納骨堂を使った永代供養、また樹木葬形式での永代供養も行っております。伝統的な墓石を使った供養をしたいけれど、自身が亡くなったあとのお墓の行方が心配という方のために永代供養つきのお墓も用意しております。

葬儀や供養に関して、越谷、春日部、吉川、松伏など埼玉県東部地域でお考えの際は、光輪霊園にご相談ください。