掲示法語

12月の法語

わたしは八才だから 二千九百二十日生きたことになる じゃあ 八十才になったら 二万九千二百日だ あん外 みじかいんだなぁ

竹内日和(小2)『202人の子どもたち』より

法話

妻「子どもでもよう計算しますね。」

夫「私ももう八十才過ぎだから、三万日ほどいきたことになるのか。いのちをこうして日にちで数えると、限りがあるという実感がわく。もう後何百日生きられるかなぁ?」

妻「がんばってくださいよ。あのね、数の話ならあなた、これまで何万回食事をしてきたと思います?一日三回八十年なら八万七千六百回食べてきたことになりますよ。」

夫「そうか。そんなに多くの食事をいただいてきたのか。大変なお世話になったのだな。いや、それだけ沢山の”いのち”を頂いてきたことになるんだ。八十年、生きてきたというより、生かされてきたのだなぁ。」



11月の法語

かけた情けは 水に流せ 受けた 恩は石に 刻め

ことわざ

法話

ある日、仙崖和尚(せんがいおしょう)が博多の街を急いでいると下駄の鼻緒が突如ぷっつりと切れて困っていた。そこへ、ある店の女将が飛んできて鼻緒をすげ替えてくれた。
和尚は「ありがとう」と礼をいって立ち去った。女将はいいことをしたと一日中心が明るかった。

翌朝女将が店先を掃除していると和尚が通りかかった。御礼を言われるだろうとわくわくしていたが、和尚は「お早う」と言っただけ。
夕方和尚の戻ってくる姿が見えたので路のまん中に出てみたが、和尚は「やぁ」と言っただけ。
「恩知らずのくそ坊主!」と女将は腹立ち、人に言いふらした。

それが耳に入った和尚「受けた大恩をことばだけで帳消しにしたくない。心の帳面に死ぬまで頂こうと思っていたのに」と嘆かれたという。
「恩着せ」の誡め(いましめ)である。