Categories: 善源寺便り

時の流れと共に変化して行く葬儀

文字よりも古い、埋葬の歴史

人間は古くからお墓を作り同胞を弔ってきました。その記録は人類が文字を使い始めるよりも古いと言われています。お墓や葬儀という物は人間の根源的な感情からくるものであり、論理的にこうだからこうしなければならないという理屈があるわけではないようです。死を悲しむという感情は知能の高い生き物であれば持つ感情ものであり、手話を話すゴリラとして有名なローランドゴリラのココは飼っていたペットのネコが交通事故で死んだときに涙を流して悲しんだそうです。過去のことや未来のことというのは想像力がなければ理解することができません。昨日までいたものがいなくなることを悲しむということは、単純な喪失感以外に今までのそしてこれからの想像ができなければできないことなのです。

伝えながらも少しずつ変化している葬儀と供養

言葉を発明し、伝えるという文化を得て、わたしたちはその葬儀の方法というものを後世に伝達するようになりました。どれがより悲しみを無くせる方法なのか、亡くなった人に対してどうしてあげればいいのかということを歴史という時間をかけて少しずつブラッシュアップしてきているのです。現在の日本の葬儀や埋葬の方法は伝統的な方法と思われていますが、実はそこまで長い歴史があるわけではありません。現在のような家族墓という形式がとられるようになり始めたのは明治時代以降のことです。それまではお墓は故人のものであり、個人墓という形式で埋葬されていました。また葬儀の形式に関しても仏教式の葬儀が一般庶民に広く普及したのは江戸時代以降です。そのため伝統的な方法とはいえどもそこまで長い歴史は持っていません。葬儀や供養の形式というのは100年が経過すれば大きく変化します。

実は100年前には現在とは異なる葬儀供養を行っていた

今から100年ほど前の供養の方法をかんがみてみるとその半数は土葬で行われていました。現在のような火葬を行ってから遺骨をお墓のカロートに収蔵するという方法は比較的新しい供養の方法なのです。永代供養という供養の方法があります。この方法というのは家族のお墓を恒久的に所有するのではなく、一定期間遺骨を収蔵したのちにもしくは火葬を行ってからすぐに遺骨を他の方のものとともに合葬するという方法です。他の方の遺骨とともに収蔵するということは個別のお墓を持つわけではないためスペース的にも費用的に負担が少なくなります。また、都市部への人口の流入が進む現在では、都市部では墓地のためのスペースが十分に供給されているわけではないというのが現状です。そうした問題を解決するためのひとつの方法が永代供養であり、1990年代以降少しずつ増加してきている供養の方法なのです。

越谷市、春日部市、吉川市、松伏町で供養をお考えの際には

わたしたち光輪霊園は松伏町で多くの供養を行ってきました。時代のニーズに対応すべくさまざまな永代供養の形もご提案させていただいております。供養やお墓に関してはさまざまな疑問や懸念があるでしょう。まずはそうした不安を解決したうえで供養をすることをお勧めします。供養に関してお悩みの際には光輪霊園までご相談ください。

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