心の拠り所から悩みの種に?

日本の歴史上でお墓についてこれほど悩んだ時代があったでしょうか。現代の日本ではお墓が高価であったり墓守をしてくれる後継者がおらずお墓がそのまま荒廃してしまうなどの問題が起こっています。ではこれらの問題は今までの歴史上でどのように扱われてきて、どのように解決されてきたのでしょうか。

全く存在しなかった昔の墓地問題

そもそも、日本では身分の高い人を除いてきちんとしたお墓が作られることはあまりありませんでした。たとえば鎌倉時代の武士たちのお墓と言われる歴史史跡に行ってもきちんとした墓標があることは少なく、ある特定の場所に遺体が集められて葬られているだけというケースもしばしばあります。現在に残る寺院墓地を見てみても、そこに古くから残っているお墓を見つけることは非常に難しいでしょう。実は現在のような供養の方法が定着したのは江戸時代以降であり、それ以前のお墓を見つけることは非常に難しいのです。

江戸期の人口爆発が直面した供養問題とは

しかし、江戸時代の段階で日本の都市部は非常に高い人口密度を誇っていました。海外の建築物と違い木造の平屋や二階建ての建築物がほとんどだったものの、長屋のような場所で非常に狭いスペースで生活をしたためです。また平穏な時代が200年も続いたため、その期間に産業的な発達をとげ都市への人口の集中は進んで行きました。江戸と大坂は、当時の世界的でも人口密度の高い都市だったのです。そうした中で、埋葬方法はどうだったのかというと、生活空間から離れた場所に土葬をするのが一般的でした。しかし住空間が広がっていき墓地が生活スペースに隣接するようになると、衛生面や土壌汚染、土地の問題などから埋葬の問題は深刻化していきました。特に早くから人口の集中する地域であった関西地方はそうした問題を解決するために土葬から火葬に切り替わっていきました。火葬を行うことによって遺体の処理スピードを速くし、必要な土地を少なくしたのです。そのため、関西では早くから遺骨の処理に対する考えが先進的であり、現在でも火葬を行ったときに遺骨の大部分を収骨せずに処分してしまう傾向にあります。

これから先の埋葬問題の解決法とは

日本の現在の火葬率は99パーセントを超えています。しかしそれでもかつての江戸時代の都市部のように埋葬が問題になっています。それは火葬を行っても遺骨を埋葬する場所がないくらいに人口密度が上昇しており、それにまつわる経済的な問題やスペース的な問題があるのです。遺骨の埋葬に関しては誰もが直面する問題です。光輪霊園は埼玉県東部にある霊園で通常の供養も永代供養も行うことができます。春日部、越谷、吉川など松伏周辺地域でお墓についてお考えの際は光輪霊園にご連絡ください。