わたしたちの想像するお墓

日本で現在見られるお墓の多くは土台の石のうえに、上に立方体の墓石が乗っているものが一般的でしょう。こうしたお墓はさまざまな舞台や映画などの中で見ることがあります。時代劇でも見ることがあるでしょう。しかし実はそのようなお墓の形は明治時代に作られるようになったのです。それ以前の墓石はもともとある石をそのまま置くだけでした。そしてあの立方体の墓石が全国的に広まったのは昭和30年ごろのことです。

あの墓石が戦後に広がった理由

現在のような墓石を作り上げるには高度な技術が必要とされました。そのため戦前は現在のような墓石を大量に作ることはできなかったのです。また戦後、産業が製造業からサービス業にとその主要な業務を変化させていくなか、人口の流動も活発化していきました。それまで第一次産業が中心だった日本の経済は第三次産業にシフトしていったのです。高度経済成長期には、一億総中流、マイホームを建てたら次はお墓を、という風潮が日本中に広がっていきました。結果として現在のような墓地の風景が日本中に発生したのです。

60年という時間の流れ

人が生まれてから子どもを産むまでの一世代を30年とした場合、もうすぐ60年1960(昭和35)年からもうすぐ二世代が経とうとしています。1960年に生まれた人々はまもなく還暦を迎えます。そしてその親の世代や祖父母の世代の多くはすでにこの世を去っているでしょう。家も同様にその年に建てられたものはそろそろ取り壊されているかもしれません。十干十二支が一周する60年という月日はそれくらいの時間の移り変わりを意味しているのです。そういった見方をすれば現在日本の各地で墓じまいが行なわれるようになったのも当然のことなのかもしれません。

新しい世代のお墓

多くの墓がその役目を終えていく現代。わたしたちは次の世代のお墓のことを考えなければなりません。現在では従来の墓石を使った方法のほかに、永代供養や樹木葬などさまざまな方法がとられるようになってきました。時代が移り変わっていく中でお墓に対する考え方も少しずつ変わってきているのです。光輪霊園は宗教法人善源寺が運営する霊園です。お寺の境内にある霊園ではございますが、霊園と言う呼び方から分かるように、檀家や特定の宗派のみの方しか利用できないということはなく、宗旨宗派を問わずにご利用いただくことが可能です。また、従来の供養の方法のほかに、永代供養や樹木葬などさまざまな供養の方法をご用意しております。埼玉県東部地域、越谷、春日部、吉川などで霊園をお探しの際は、光輪霊園にご相談ください。