「永代供養」とはなにか

1990年代から行われるようになった新しい形式の供養として「永代供養」というものがあります。永代供養とは一般的な供養の形のように個人や家族でお墓を所有して遺骨を供養している方法ではありません。さまざまな方式がありますが、最終的に遺骨を合葬の形で埋葬し、その後は墓地、霊園の管理者が遺骨の管理を行っていくというのがその一般的な方式です。

過去の日本では人口は低下していなかったのか

では、なぜ永代供養が必要になってきたのでしょうか。その背景としてはお墓の管理を個人の家で行うことが難しくなってきたことがあります。現在大きく取り上げられている社会問題として少子高齢化があります。この現象というのは現代の日本だけで起こっている現象ではありません。歴史学者や経済学者によって過去の日本の人口の減少に対する研究が行われていますが、縄文時代の後半や、平安時代、江戸時代の後半に人口が減少しています。こうした時期は社会構造の限界から人口が減少し始めています。歴史が示すところによれば、このあとには大きな社会システムや市場構造の変革が起こり、それによって再び人口が増加しているのです。

海外でも多くの国で人口が減少傾向に

また減少しているのは日本のだけではありません。日本の人口の減少率は2017年現在で11位タイであり、主要な国で言えば、クロアチア、ブルガリア、ルーマニア、ウクライナなどの東欧の国やギリシャ、ポルトガルなどの経済状況が思わしくない国で人口が低下しています。またイタリアなども人口が減少しています。過去の日本の人口の減少期には、多くの工夫がなされてきました。単純な財政の縮小以外にも特産物の開発や品種改良、商売方法の改善など主に産業や経済的な変化がなされたのです。江戸時代後期の人口減少期には、江戸の三大改革と呼ばれる多くの地場産業が開発され、牛や稲などの多くの品種で改良が行われました。現在の日本における供養方法の変化というものもこうした過去の歴史上における産業の変化のような、人口減少期におけるひとつの変化ではないでしょうか。

人口の減少は大きな変化の兆し

こうした風習というものに対しての変化というのは少なからず時間がかかるものです。ひとつの基準として一世代である20年から30年ほどでこうした基準というものが変わっていくとされています。永代供養というものが行われるようになって20と数年。これからの人口問題に直結するお墓の問題の解決方法として永代供養が過半数を超える日が来るのも近い未来なのかもしれません。光輪霊園は永代供養の形での供養も執り行っております、埼玉県東南部地域、越谷市、春日部市、吉川市、松伏町で永代供養をお考えの際は光輪霊園にご連絡ください。