人間の寿命に関する「バナナ型神話」

多くの神話に登場するバナナ型神話と言われる形式の神話にはバナナと石のどちらかを人間の祖先が選択するというシーンが出てきます。バナナもしくはその他の寿命のある植物を選択した人間は寿命を持ってしまうという、人間の寿命に関する起源神話です。一方でこうした神話の中では、この場面で人間が石を選択していれば人間は非常に長い寿命を得られていたという話も付随しています。日本の神話の場合、天皇家の祖先である神が桜と石のどちらかを選択するという逸話が神話の中にあります。植物や動物などの生物は寿命のある移ろいゆくものであり、鉱物は変わらないものの象徴とされていたのです。

石という変わらないものに対する願い

現代に生きるわたしたちはそのお墓を石で建立します。石で作られたお墓は人間の寿命と比べるとはるかに長い期間、そこに形としてあり続けます。かつて無限の寿命の象徴とされた医師は現在では故人への変わらぬ感謝の気持ちを示すひとつの装置としてそこにあるのです。しかし現在では樹木葬形式などで、その墓標を変わらぬ石ではなく移ろいゆく植物で作っているのです。

現在のようなきれいな直方体のお墓はいつから作られた

こうした心理的な変化というのは一体どこから発生しているのでしょうか。実は現在のような直方体のお墓というのは製造が難しく、戦前は現在のような綺麗な表面のお墓をつくることは比較的困難なことでした。技術革新が起こり、硬い石を割ることなく正確に切る技術が確立して初めて現在のようなお墓が作られるようになったのです。現在のお墓は先祖に対する感謝と、変わらずその家があり続けるための信仰の対象なのです。しかし変わらぬ対象というのは、そのまま変わらない負担を子孫に押し付けてしまうという事実をも生むことになりました。そのため変化する対象である植物を墓標にする人が増えてきたのではないでしょうか。

足かせにならない供養の方法を考える

近年増えつつある永代供養や散骨に対する希望もそうした思考の変化の表れではないでしょうか。変わらぬものとしてそこにあり続けてほしいというよりも、お墓が絆(きずな)として故人と生きている子孫を繋げる物になるのではなく、絆し(ほだし)として子孫の自由を縛るものになってほしくないと考える人が多くなってきたのかもしれません。十人いれば十種類の供養の形があります。わたしたち光輪霊園はそうした故人の方のそして遺族の方の希望を叶えられるよう多くの供養の形をご用意しております。東埼玉エリア、越谷市、吉川市、春日部市、三郷市、草加市、松伏町などで供養をお考えの際は光輪霊園にご相談ください。