大きく埋葬方法が変化した時代とは

葬儀や埋葬法の発展にはその時代の背景が大きく影響しています。戦時や災害時など生活が困難である状況では、人は他人の死に対して多くのことを行うことはできないのです。半面、平穏な社会情勢の中では所得の上昇に対して必要な生活費が少なくなるため余剰の所得によって多くの文化が発展します。服飾や文学、絵画など実生活になくても困らないものが発展していきます。葬儀や埋葬法もその一例であり、長く戦乱の起こらなかった平安、江戸、昭和後期にはそうした文化が大きく発展していきました。

平安、江戸、昭和後期の変化の共通点

平安、江戸、昭和後期の埋葬法の変化の特徴として、火葬率が上昇していることがあります。遺体を燃やすためにはそれなりの火力が必要とされます。火力を出すためには当然多くの薪を必要とします。そのため平安時代には、火葬は貴族のみ行うことのできる高額な埋葬法でした。庶民の生活水準はそこまで高くなかったため火葬を行うことはなく、所定の場所に遺体を放置したり土に埋めるなどの方法で埋葬を行いました。 江戸時代、日本の人口は大きく増加しました。特に都市部では人口密度が急速に増加しました。そのため墓地として必要な土地が不足し、土葬に対して土地を必要としない火葬の割合が増えていきました。高度経済成長期にも、火葬の割合は大幅に増加しています。現在の日本の火葬率は99.9パーセント以上です。その背景としては高度経済成長期に火葬の施設が定着したこと、また余剰所得により墓地や霊園に墓所を購入する人が増加したことがあります。

不安的な時期に起こる変化の傾向

逆に政治情勢が不安な時期や戦乱の世の中では宗教に対する考え方が大きく変わる傾向にあります。貴族の世の中から武士の世の中へと大きく変化した鎌倉時代には、新興宗教である鎌倉仏教が急激に発展しました。また宗派も含めて考えると、時代の改変期である戦国時代や明治時代にも新しいものが起こっています。戦後、一般葬という葬儀の方法が確立していました。しかし現在の日本では葬儀の方法や埋葬の方法が変化しています。一般葬は家族葬や直葬へ、墓石を使った埋葬は永代供養の形へと移り変わっています。平穏な時代にはより華美になっていく葬儀ですが、現在の日本では、かつて余剰所得が多かった昭和後期に発展した葬儀の形式が、本来のあるべき姿に戻ろうとしているのかもしれません。

歴史的に見れば、正しい埋葬法などない

このように葬儀や埋葬法というのは時代に応じてどんどんと変化していきます。以前行われていた葬儀や埋葬法が正しいのではなく、その時代に行われている葬儀の方法が正しいのです。光輪霊園は埼玉県東部、松伏町にある霊園です。越谷、春日部、吉川の多くの人に利用していただいております。通常の墓所を利用する埋葬方法のほか、納骨堂を利用する方法や合祀墓を使った方法など多くの方法をご利用いただけます。光輪霊園は時代に対応した新しい葬儀の方法をご用意しております。