存在意義という人が生きるために必要な要素

人間が生きるひとつの理由として存在意義というものがあります。人間には他の動物と違い知性があります。ただ無為に人生を生きることは人間には難しいことです。生存の欲求である、生理的欲求と安全欲求がある程度満たされていても、承認欲求や所属欲求、自己実現欲求などが満たされなければ生きていくこと自体が辛くなることもあるのです。日本での自殺の原因は、1位が病気、2位が経済的な事情、そして3位と4位が人間関係です。他人から認められることは人間にとって必要なことであり、自分が存在しなければならない理由が見いだせなければ多くの人は生きることに喜びを感じることができないのです。

所属から個人へ、個別化が進むことによって起こった変化は

かつての日本では地域や組織などに貢献することによって、人はその存在意義を確立していました。自身の所属の中での立ち位置などがあり、その所属の中で欠かすことのできない存在でいる自分というものを感じることが自分の生きる意義だったのです。しかし現在では組織というよりも個人に対する帰属の意識が強くなっています。所属の中にある自分を主張するのではなく、自分自身がまず先にあり、そこに付帯して所属があるという意識が強くなっているのでしょう。SNSなどで「いいね」をもらいたがるのはそうした承認欲求の表れであり、他人から「いい」と思われている自分を数値で認識することによって承認欲求を満たしているのです。

供養という血縁に関する繋がりへの再認識

供養というのもこうした承認欲求の表れなのかもしれません。親が亡くなったとき、子どもが生まれたときなど、世代というものを意識したときに、人間はあらためて生物的な縁、生まれたときから切ることのできない血縁というものを再確認します。そして先の世代である先祖に対しての感謝を感じ、また後の世代である子孫に対して自身がいたという存在を遺そうとするのでしょう。

遺すのは感謝かそれとも負担か

供養は先祖に対する感謝を、そして子孫に対する期待を込めた行為です。しかしそうした行動が子孫に対しての負担になっているということもあり得ます。それはお墓を維持することによる負担や遺骨を遺すことによる負担です。そのためそうした負担を避けるため永代供養を選択している人が増えつつあるのです。時代は所属から個人へとその重心が変化してきています。最も根源的な所属である血族というものも足かせになるのであれば、その足かせを遺さないようにしようと考えるようになったのはひとつの時代の流れなのかもしれません。光輪霊園は東埼玉エリアで昭和51年から多くの供養を取り扱ってきました。時代の要求に応えるべく、本霊園ではさまざまな永代供養も行っております。越谷市、吉川市、春日部市、三郷市、草加市そして松伏町で供養をお考えの際は光輪霊園にご相談ください。